実家に帰るのが苦手だ。

同じ都内に住んでいるからいつでも帰れるのに、なぜかいつも少し照れ臭い。
荷物も大体は移してしまったし、僕の部屋だった場所は、今は2匹の猫の寝室になっている。
親父と近況を話すのも、不得意だ。

「仕事の調子はどうだ」と聞いてくれるが、視線はいつもテレビの先のプロゴルファーかラグビー選手に向けられている。
「ぼちぼちかなあ」となんとなく答えるが、困っていないことがわかると、それだけで満足しているようだった。

その距離感が、不得意だった。

不得意ではあったが、心地よくもあった。

画像: 親孝行エッセイ「僕は親父を越せるだろうか」カツセマサヒコ

まだ実家に住んでいた頃、少年ジャンプで連載していた『封神演義』というマンガが好きだった。

遥か昔の中国と仙人界を舞台に、仙人たちがあれこれと活躍する冒険劇である。主人公のユルさと脇役たちのイケメンっぷりに心震えたし、推しキャラがことごとく死んでしまうことで何度も泣いた作品でもあった。

その作中に、「黄飛虎(こう ひこ)」と呼ばれるクソかっこいい親父と、「黄天化(こう てんか)」と呼ばれる超絶イケメンな息子が出てくる。僕はこの二人の関係性に、当時やたらと憧れていた。

父親である飛虎は天化を小さい頃から稽古(剣術の修行)していて、天化が倒れるたびに「いつか俺を越えろよ。それが親孝行ってもんだ」と笑いとばす。それを聞いて天化も、いつか親父の大きな背中を越えてみせるぞと、高揚した顔を見せるのだ。

「いつか、親父を越える」

単純明快な少年ジャンプ脳を持つ僕は、いつしかそれが最善の親孝行なのだと思うようになった。

『封神演義』の連載が終了したのは2000年で、当時の僕は中学2年だった。
あれから18年が経ち、現在31歳。

この18年の間、親父に勝ったのは身長くらいなもので、親父は「くやしいなあ」と言いながら少しだけ嬉しそうな顔をしていたけれど、果たして「親父を越える」とは、何をもってしてなのか。「足の人差し指が親指よりも長いと、親より出世する」と根も葉もなさそうな迷信をたまに聞くが、相変わらず僕の足の指は、行儀よく2~3ミリ、親指よりも短く収まったままだ。

画像: カツセマサヒコ on Twitter twitter.com

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▲2018年4月のツイート。うちの親父、イケメンなんです

そんな父は、祖父から継いだ会社を経営している。小さくたって従業員を何人も抱えているのだから、フリーランスの僕は純粋に尊敬する。「給料が払えない」なんて一生で一度でも口にしたくない言葉だし、社員とその家族まで養っていく責任感なんて、いったいどんな修行を積めば身につくのだと疑問に思う。

さらに疑問だったのが、父は祖父から会社を継いだくせに、嫌いな言葉が「コネ」だったことだ。

僕の兄の就職活動が始まる頃だろうか、父は僕ら兄弟に実力で戦うことの大切さを説いた。「コネなんかに甘えるんじゃない。自力で生きろ」だとかなんとか、これまで人生観や仕事論なんてこれっぽっちも語ってこなかった親父が、初めて大真面目に話した。

今思えば、血筋があればそれだけで経営者になれるようなイージーモードな親族経営では会社は成り立たないと言いたかったのだろう。まだ二十歳になるかならないかの僕も、そのときから親父の会社を継ぐことを選択肢に入れた人生を歩むのは止めた。いや、元からそんな考えはなかったが、より自立した道を歩もうと思った。

新卒のときは両親が喜ぶ顔が見たかったこともあって、大手の老舗企業に入社した。でかい仕事ができるとも思ったし、ビジネスマナーってやつを学ぶなら古い会社に限る。その5年後には、たった5人の「ド」がつくほどベンチャーな会社に転職した。大手とベンチャー、両方経験しておくことでなんらかの知見が得られればいいと思ったからだ。

そして昨年、脱サラして個人事業主に。食っていけることがある程度見えたのもあるし、給与収入ではない形で稼いでみることで「生きること」と「働くこと」の距離がもっと近づけばいいと思った。

ベンチャーへの転職も、その後の独立も、今思えば親父には経験のない選択肢だった。「お前はいつも親を不安にさせる」と嫌味を言われたが、その道を選んだのはほかでもない、「親父を越えるため」だったのかもしれない。

話は『封神演義』に戻る。

父親である飛虎のもとで修行をしていた天化はある日、仙人界からスカウトを受ける。仙人になれる素質(仙人骨といって頭蓋骨がちょっと長いなど、身体的特徴がある。話すと長い)を持っている天化は、修行すればいずれ仙人になれるという。

天化は、親父である飛虎の元で修行を続けるべきか、仙人界で修行をするか迷った末、この誘いに乗った。
はちゃめちゃに強かったが仙人ではなかった飛虎を越えるには、飛虎の歩んだことのない道で経験を積むしかないと判断したからだ。
結果、物語の終盤、天化は飛虎の意思を継ぎ、その役目を全うすることで「親孝行」を果たす。

僕が天化のようになれるかはまだわからない。でも、親父とは別の選択肢を歩んでいくことが、いつか親父を越えるための布石になったらいいなとぼんやり思っている。

「仕事の調子はどうだ」と、テレビを観ながら親父が言う。

「ぼちぼちかなあ」と、僕は答えた。

カツセマサヒコ
フリーライター/編集者。編集プロダクション・プレスラボでのライター経験を経て、2017年4月に独立。広告記事、取材記事、エッセイ、物語等の企画・取材・執筆を行う。ツイートが20代女性を中心に話題を呼び、Twitterフォロワーは12万人を超える。趣味はスマホの充電。

文・写真/カツセマサヒコ
編集/サカイエヒタ(ヒャクマンボルト)

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