「自分の娘が"ぱいぱいでか美"って名前で活動してたら最悪だな」

エゴサーチをしていたら見つけた、とある書き込みです。まぁ何となく、言いたいことはわかります。私だって自分の芸名がヤバいことは自覚しているし、何よりそのヘンテコさを気に入って使い続けている名前です。

私は三重県のごく普通の一般家庭で育ちました。本名は仲井優希(ナカイユキ)。父はサラリーマン、母はパートや習い事が好きな主婦。兄弟は9個上の兄が一人。

お兄ちゃんとは異父兄弟ですが、言われるまで気付かなかったくらい、お父さんとお兄ちゃんはお人好しな性格が似ています。逆に、お母さんと私は感情の起伏がかなり激しい。男の優しさと女の強さで成立しているのが仲井家なのです。
両親共に子どもの意見と理由を聞いてくれる家庭でした。それはもうしつこいくらいに(笑)

たとえば習い事なら「なにを習いたいのか?」「どうして興味を持ったのか?」「何でやめたいのか?」。友達との喧嘩なら「何で起こってしまったのか?」「何故謝ったのか?」「何故謝れなかったのか?」などなど……。

褒められるようなことをしても怒られるようなことをしても、そんな風にとことん聞いてくれる両親で、何事にも自分の意見と理由があればそこから私がどうすべきか自然に示してくれていました。両親のそんな育て方もあってか、「自分の人生の選択権は常に自分自身にある」ということを意識して私は生きてこれたのかもしれません。

画像1: 親孝行エッセイ『変な芸名の娘と、両親』でか美

歌手になりたい夢を持って三重県を離れ、程なくして私は「ぱいぱいでか美」という名前と出会います。サークルの先輩がノリでつけてくれたあだ名で、私はそれをめちゃくちゃ気に入りました。そしてその流れで、気付けば芸名にまでしていました。
覚えやすいし、響きが面白くていい感じ!
はじめの頃は嫌悪感を示してくる人もいましたが(笑)、一度自己紹介をすればほとんどの人が忘れないでいてくれるハイリスク・ハイリターンな名前。

今でこそレギュラーのバラエティー番組があって、このコラムのように様々なお仕事も頂けるようになりましたが、地道な音楽活動しかなかった当時の私にとって「名前を覚えてもらえる」ことは大きなメリットでした。

しかし、親にぱいぱいでか美として活動していることは言っていませんでした。ライブハウスにいるような若い人には「ウケる!」で済んでも、親世代の人はこの名前を聞いたらビックリするんじゃないか……? と思ってしまったのです。

何となくタイミングを逃し続けて言えないまま、当時組んでいたバンドが私の地元でライブをしたときのこと。メンバーみんなで実家に泊まることになり、両親はお酒とご馳走を大量に用意して私たちを迎え入れてくれました。

そして、ふと両親と私の三人になったとき、今だ! と芸名について切り出しました。

「あのさー、私の芸名"ぱいぱいでか美"って言うんやけど」

どんなリアクションが返ってくるんだろう。結構ドキドキしたのを覚えています。

母「ヤバ!めっちゃ面白いやん。覚えやすいなぁ!」

父「俺はネットで見て知っとったぞ! 変な名前や~わろてまうわ」

ちょっと拍子抜けするくらい、好意的かつ応援してくれていました。私は本名も芸名も気に入ってること、覚えやすさと響きの良さが好きだからこれからも名乗りまくるつもりだと言うことを続けて伝えました。

自分の選択でこの名前を使っていることを知り、親もなんだかいつも以上にニコニコ。私自身もすごくスッキリした気持ちになりました。

そもそも、こんな変な名前を「うわ! 覚えやすくていい名前だ!」と平気で使っている娘の親なんです、私の両親は。そして、そんな両親の娘なんです、私は。血は争えないってこのときほど思ったことはありません。

当たり前なんだけど、私の親って、私の親なんだった。私ってお父さんお母さんの娘なんだった。

画像2: 親孝行エッセイ『変な芸名の娘と、両親』でか美

当時のバンドは翌年解散しましたが、そこから今現在に至るソロ活動を始めます。もちろん、ぱいぱいでか美の名前のままで。
CDを出したりテレビに出たりするようになると、両親の応援はより一層強くなっていきました。

お母さんはぱいぱいでか美の親ってことを主婦仲間に言いまくり、挙げ句の果てに「ぱいぱいでか子とかでか代に改名しようかな?」とか言い出し(意味がわからないので止めました笑)、お父さんは会社のデスクに私の写真を飾り、部下の中にファンがいることを嬉しそうに報告してくれました。

そんな両親の心強すぎる応援は今でも続いていて、ありがたい限りです。両親と外食をした際は私が支払うのですが、毎回「稼いどるねぇ~!」「ご馳走様ですぅ!(声色を変えて)」と雑なイジリ方をされます(笑)。

両親には美味しいご飯を食べて欲しいし、もっともっと稼がないとですね! お仕事を頑張れる理由のひとつです。

そしてもうひとつ。実家に帰ると渡される色紙も、頑張れる理由です。

私のことを周囲に宣伝しまくってくれる両親のおかげで、周りの方が両親にサインを頼んでくださることがあるみたいで。色紙の数が実家に帰るたびに増えていくので、これからも減ることなくお仕事を続けていけたらいいなぁと思います。

「自分の娘が"ぱいぱいでか美"って名前で活動してたら最悪だな」

どうやら、私の両親にとっては最高みたいです。何故なら二人は私の親だし、私はそんな二人の娘だから。
これからも自慢の存在、応援し続けてもらえる最高の娘でいられるように、ぱいぱいでか美は頑張ります!

目指すは東京に別荘を建ててプレゼントすること!
でも多分、そういうのは要らないって言いそうなんで、今度帰ったときは少し奮発して「和田金」にでも行こうかな。

お父さんお母さん、本当にいつもありがとう!

ぱいぱいでか美
1991年5月3日生まれ、三重県出身。牡牛座O型、桃色の女。名乗るほどでかくないがそこそこでかいおっぱいを武器に、テレビやグラビア、ライブにDJ、もはやおっぱい関係ない執筆業など、縦横無尽に活動中。

文・写真/ぱいぱいでか美
編集/サカイエヒタ(ヒャクマンボルト)

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