銀座ウエストのリーフパイ、レピス・エピスのオリーブオイル、エシレのバターケーキ。エスティローダーのコスメセット、キタムラのハンドバッグ、ラルフローレンのマフラー……

帰省のたびに抱えきれないほどの東京土産を携えてくるわたしを、家族はいつも「またそんなに金つかって。なんもいらねってば」と言いながら出迎える。その笑顔は気遣っているようでもあるが、本当に迷惑がっているようでもある。

そしてわたしが東京へと戻る際には決まって、今度はやたらと荷物を持たせたがるのだ。農協で買った果物、庭で採れた野菜、まだ家族の誰も口にしていない新米、最近地元を賑わせているワイン、さっきまで仏壇に供えてあった菓子、幼い頃好物だった祖母の手料理。余っている靴下、ハンカチ、のべつまくなし、何でもかんでも。

厚意とはわかっていてもうざったかった。すげなく断られて不満気な家族を無視して、特急列車に乗り込む。都会ではできるだけ軽やかに闊歩して、風景に馴染んでいたかった。野暮ったい荷物を背負って東京駅をさまよったり、中央線に揺られたりするような不格好は耐えられなかった。

画像: 特急列車から見た故郷の雪景色。冬なのに、こんなにきれいに晴れてた日があったんだな

特急列車から見た故郷の雪景色。冬なのに、こんなにきれいに晴れてた日があったんだな

家族が暮らす東北の郷里を離れて10年になることに、これを書いている今、気づく。

裕福な家庭では決してなかったが、ひとり娘のわたしが実感する機会はついぞ訪れなかった。それは家族が持ちえた余暇や精力や金銭のすべてを費やしてくれたことの証左に他ならない。でもそれこそが、あまりに大きい愛情、向けられる期待や込められる願望、あらゆるものが重たくて息苦しくて、不孝者のわたしは家を脱出したのだ。

10年前、都会での新生活は触れるもの、起こること、出会うひと、すべてが自由奔放で魅力的で刺激的だった。文化も情報もモノも、そして人々の暮らしも、何もかもが飽和するほど豊かだと感じた。わたしは因習的な故郷を、貧しい生家を、無知な自分自身を、恥ずかしいと感じた。

上等なもの、流行しているもの、ここにあって故郷には絶対にないものの、美味しさや楽しさや美しさを家族にも知ってほしくて、味わってほしくて、喜んでほしくて、わたしはことあるごとにせっせと贈りものをした。そこには、わたしだけが呪縛から解き放たれて自由を満喫していることや、故郷を呪縛と捉えていることそれ自体に対する罪悪感を物品で埋め合わせようという浅ましい動機があったことも、否めない。

しかし家族は何を受け取っても、期待するほど嬉しがってはくれなかった。貴重がらないし、さしたる興味すらないらしい。わたしがどんなに“啓蒙”したところで、彼らは自分たちやわたしにとっていちばん相応しいもの、真に求めるものは故郷にこそあると信じて疑わない。
だから家族もことあるごとに、旬の名産品や地元の商店で手に入れる雑貨を贈ってくれる。食卓にあがる料理を「侑に食べさせたいのう」と言いながら囲んだという報告もくれる。

お互いに、相手を想っているのだ。

でも、伝わらない。

お互いに、自分が生きている場所、手にしているものこそがより貴いと思い込んでいるから。

画像: 家族の誰よりも日当たりのいい位置にある、わたしの部屋。10年前から時間が止まっている

家族の誰よりも日当たりのいい位置にある、わたしの部屋。10年前から時間が止まっている

なんだか太田裕美の唄う「木綿のハンカチーフ」みたいだ。わたしはさしずめ恋人を置いて上京し、華やいだ都会に浮かれている青年で、対する家族は遠く離れた恋人のキスを懐かしむ少女というところかしら。

なんて可笑しく思っていたけれど最近になって、まるで曲をなぞるかのようにわたしの生き方に反対する家族と断絶状態になってしまった。同じ血が流れているから両者とも頑固だし、溝はあまりに深すぎて、もうしばらくは故郷の地を踏むこともないかもしれない。

でもこれから先、美味しいものに触れるたびに、祖母が好みそうな洒落たアクセサリーを眺めるたびに、色白の母にこそ似合うであろう化粧品を見つけるたびに、祖父と飲みたい酒を知るたびに、きっとわたしはあの、家族の戸惑ったような笑顔を思い出す。
そして家族も間違いなく、果物や新米の季節になるごとに、わたしの好物を前にするごとに、凝りもせずわたしのことを思い出すのだろう。

いつかまた顔を合わせるときが来るならば、押しつけがましいとしてもそれまでの想いをすべて物品に代えて、家族に贈りたい。そして、家族からも押し付けられるであろうあらゆる厚意を、わたしも喜んで受け取りたい。

木綿のハンカチーフは涙を拭うためではなく、お互いを心に留めておくために、いつも携えているものであればよかった、と思う。

だからどうかその日までは。

“身体に気をつけてね 身体に気をつけてね”

海坂侑
フリー編集者/ライター/エッセイスト。WEBコンテンツの企画・取材・編集を行うかたわら、ツイートやエッセイが多くの共感を集める。都内にネコとふたり暮らし、1990年生。

文・写真/海坂侑
編集/サカイエヒタ(ヒャクマンボルト)

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