おかあさんの心からの笑顔を、私はいままで一度も見たことがない。25年間生きてきた中で、たぶん、たったの一度さえも。

だからだろうか。「親孝行」というテーマでコラム執筆のご依頼をいただいたときに一番最初に考えたのは、「おかあさんの笑顔」のことだった。

1992年。私は京都にある小さな町工場の、3人姉妹の次女としてこの世に命を授かった。うつくしく、のびのびとマイペースに成長しますようにという願いを込めて、「悠々自適」の「悠」と「うつくしい」という意味が含まれる「佳」を合わせて、「悠佳(ゆか)」と名付けられた。

自分で言うのもなんだけれど、この上ない愛を与えられ、のびのび育ったと思う。毎年お盆とお正月には家族で日本のあちこちに旅行に連れていってもらったし、中学からは3姉妹とも行きたい学校に通わせてもらった。生活には、何ひとつとして不自由がなかった。

そんな私の家族を見て、近所の人たちは決まって「裕福やねえ」「優秀やねえ」「あかしさん家はほんまに絵に書いたような幸せな家庭やねえ」と言った。

けれど。

私は心の中で、ずっと「ちがうねん」と思っていた。

側から見える「幸せな生活」の裏には、おかあさんの並々ならぬ我慢と努力があったことを、私はずっと知っていたのだ。

おかあさんは24歳のとき、夢だった看護師の道を諦めておとうさんと一緒になった。山形出身だったおかあさんは、慣れない京都という土地で、慣れない町工場の仕事を懸命に手伝ったそうだ。

小さな町工場だったから、そんなに裕福というわけではなかったと思う。社会人になって自分でお金を稼ぐようになった今だからこそわかるけれど、娘3人を私学に通わせる余裕なんて、本当はなかったのではないだろうか。

おかあさんの口癖は「私はいいから」だった。自分のためにお金や時間を使うことはほとんど一切なく、3姉妹のために、本当にただそれだけのために、おかあさんは身を粉にして働いていた(おとうさんは、その分自由だった)。おかあさんは、いつもどこかしんどそうで、無理をしているように見えた。

我が家の「幸せな生活」は、おかあさんの人生と引き換えにあるものだということに、私は幼いながらにも気づいていたのだ。

そして、私はそんなおかあさんのことを「すごいな」と思いながらも、ずっと理解ができなかった。

マイペースにのびのびと、周りの人に支えられながら生きるおとうさんの血を引いた私にとって、人に甘えたり頼ったりすることができないおかあさんの気持ちや行動が、まったくもって理解できなかった。

「もっと人に頼ったらいいやん」
「そこまで自分で背負わんくてもいいやん」
「なんで人に頼らへんくせに、自分で抱えこんで悩んで、私に八つ当たりしてくるん?」

反抗期のときには、そういった言葉を直接ぶつけてしまい、おかあさんを傷つけ泣かせてしまったこともある。今だからこそ分かるけれど、なんという言葉の暴力をふるってしまったんだろうと、悔やんでも悔やみきれない。

おかあさんは、その頃から私に笑顔をあまり見せなくなった。

そしていつのまにか、私もおかあさんに対して「おかあさんはそういう人だから」と思うようになった。おかあさんの苦労を軽減するための努力を、おかあさんと向き合うことを、怠るようになってしまった。

おかあさんと私は、人としてわかりあえない。だからもう、そっとしておこう、と思ってしまったのだ。

そうして私はそのまま就職で上京し、おかあさんとは本音で話し合うことができないまま、離れ離れになった。そして私はいまでもそのことを、ものすごく後悔している。

先日、谷口ジローさんの漫画『父の暦』を読んだ。

画像: 親孝行エッセイ「おかあさんの笑顔」あかしゆか

この漫画は、両親の離婚がきっかけで父とのわだかまりが生まれ「家族」から逃げ続けてきた主人公・陽一の「後悔」の話である。

父の死をきっかけにひさしぶりに故郷へ帰省した陽一が、自分が知らなかった「父の本心」に少しずつ気づいていく。そして陽一は、父の優しさ、偉大さに気づくのだ。

“父との対話を避け続けてきた事が悔やまれる。故郷を捨て、家族を捨て去った事が……父の悲しみや苦悩を理解しようとしなかった悔いが残る。”

“私は心をかたくなに閉ざしたまま父の死まで心を開かなかった自分の愚かさを悔いた。今日まで父や家族の優しさに支えられてきた事にずっと無自覚だった私は、今さらなんと言って父に語りかければよいのだろう。”

涙が止まらなかった。シチュエーションは違えど、親との対話を避け続けてきた私にとって、自分と重なる部分が多すぎたのだ。

読み終えたとき、私はあらためて「このままではいけない」と思った。このままでは、きっと私はいつか陽一のように、取り返しのつかない後悔をすることになる、と。

私はいま、3ヶ月に1回ほど帰省をする。そして毎回帰省するたびに、私は「今回こそはおかあさんと本音で話し合うぞ」と意気込む。

けれどこれがまた、なかなかうまくいかない。どうしてこうも、おたがい意地を張ってしまうのだろう。どうして対話ひとつ、うまくできやしないのだろう。

結局のところ、25歳という「いい大人」になっても、私はまだ、親孝行──いや、親との対話すらちゃんとうまくできていない。

けれど、私はもう「おかあさんはそういう人だから」と諦めたくはない。わかりあえないからと、関係を放棄してしまいたくはない。

おかあさんと私は、きっとたぶんこれからも、わかりあうことはできない。けれど、わかりあえないからこそ、「わかりあえないことから」始めなければいけないのだ、と思っている。

今まで逃げてきた「対話」を、少しずつでもしていこう、と思う。対話はとても難しく、まだまだ時間はかかってしまいそうだけれど。

おかあさんの人生に耳を澄ませ、おかあさんを心から笑顔にすることができたとき。それが私のおかあさんへの「親孝行」が完成するときなのだ、と思っている。

あかしゆか
1992年生まれ、 京都出身。 2015年に新卒でサイボウズに入社し、 1年半製品プロモーションの経験を経たのちコーポレートブランディング部へ異動。 現在は「サイボウズ式」の企画編集や、 企業ブランディングのためのコンテンツ制作を担当している。 2018年1月から複業でフリーランスの編集者/ライターとしても活動を行っている。Webコンテンツの編集ライティングに加え、今年は書籍の企画編集にも挑戦中。

文・写真/あかしゆか
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)

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