小学生の頃、いじめに遭っていた。
複数人で回していた交換ノートには、私の書いた文字を打ち消すような大きな文字で、でかでかと悪口が書かれていた。

どうしても学校に行くことができず、ぐずぐずと準備をしているのを見た母は、「今日は学校を休んで、おいしいものを食べにいこう」と間髪容れずに小学校へ欠席の連絡を入れた。

電車を乗り継いで、どこの街へ行ったのだろう。きっと母が好きな銀座かもしれない。学校をサボって食べるお子様ランチはどこか後ろめたく、けれどとてもおいしかった。ごはんの上にちょこんと乗っかった国旗をくるくるとまるめ、ポケットにしまった。

真昼間に、本来いるべきはずの場所にいないのは不思議なことだった。でも、あの真空パックのような息が詰まる空間から抜け出すと、きちんと呼吸ができるような気がした。そこは、嘲笑も侮蔑もない世界だった。

あまりにも引っ込み思案な私を危惧し、こども劇団にも入団させてくれた。厳格な顔つきの女性指導員のレッスンはとても厳しく、早口言葉を大声で叫ばされる時間は正直たまったものではなかったが、レッスンが終わると迎えに来てくれる母がいつも素敵な喫茶店に連れて行ってくれるのは格別の時間だった。

思い返せば、母はいつも私をとびきりの場所へ連れ出してくれた。いや、母が一緒にいたから、そこがとびきりの場所になったのかもしれない。画像1: 親孝行エッセイ「とびきりの場所」ふつかよいのタカハシ

画像2: 親孝行エッセイ「とびきりの場所」ふつかよいのタカハシ

母のおかげで、昔いじめに遭ったのが嘘のように、私はたくましくなっていた。メーカーの営業職として勤務する日々は、働く仲間に恵まれ、とても楽しく、ずっとこんな毎日が続けばいいのに、と思うほどだった。慣れない一人暮らしもなんとかこなしていた。
料理をつくっている最中、みじん切りをふっ飛ばしたり、洗濯機を回したのを忘れて出かけ、帰ってきた頃には衣類がしわくちゃになっているのを目撃し、げんなりしたりしながらも。

時折、LINEには連絡が来た。体調はどうか、何か必要なものはあるかと私を気遣う内容や、他愛のない日々の出来事たち。ときに簡潔に、ときに笑いながらそれらに返信をした。

そんなあるときだった。
珍しく、あまりLINEのやりとりをしない父から夜遅くに尋常ではない件数の着信が来ていた。
何か急を要することでもあったのだろうか。どことなくいやな予感がし、父に何度か折り返すも、切られてしまう。胸がざわつく。4度目でやっと繋がるやいなや、父は言った。
「お母さんが倒れた。」

え、と返す間もなく、また電話が切れた。ひどく動揺しているようだった。心臓がばくばくする。とにかく異常事態だと判断した私は、着のみ着のままで病院に向かった。

病室に横たわる母は起き上がって水を飲むことも難しく、唇は紫で、青白い顔をしていた。ぐったりとつらく、苦しそうで、看護師が持ってくるごはんもひと口で残してしまう。
耐え切れず、私は泣いた。いつも元気に、ひと一倍くるくると動き回る母はそこにいなかった。幸いなことに、医師からは「入院をすれば回復する」との報告を受け、何度か病院にお見舞いに行った。

ただ、いつもだったらすぐに飛んでくるはずの軽口もなく、弱々しく笑いながら「来てくれてありがとう」「何か食べたの」「近くのコンビニで、何か買って来たら」と私の心配ばかりする。一番心配されるべきは母なのに。何もできないのが、もどかしく、歯がゆくて、また泣いた。

病院から帰り、冷静になってはじめて、人は、いつどうなるかわからない、とひしひしと感じた。母だけじゃない。今、隣で笑っている人にも、数日経ったら二度と会えなくなってしまうかもしれない。

他の人だけじゃない。私自身だって、どうなるかわからないのだ。そして、気づいた。いや、実はずっと、気づいていた。
毎日毎日、終わらないでほしいと願うくらい楽しい毎日を過ごしていたけれど、本当にやりたいことは、小学校の時から変わっていなかったということを。文章を書くのが、大好きだということを。
当時、本を読む私を見て母は、「物語を作ってみたら」と言ってくれた。よもや私に文章など書けるまい、と思っていたが、愛読していた童話集を参考に、少しずつジャポニカ学習帳にショートストーリーを書き溜めた。新作を綴る度に、物語を読んで笑ってくれた母の顔を見るのがとても、とても嬉しかった。その時の感情を、ずっとずっと忘れたくなかったんだってことも。

画像3: 親孝行エッセイ「とびきりの場所」ふつかよいのタカハシ

満員電車を往復する毎日も、素敵な人たちに囲まれて日々仕事をこなす、営業職としての毎日も捨てて、フリーランスになった。
未経験で、右も左もわからなかったけれど、ひたすらに文章を綴った。ボーナスも、有給も、保証も。そりゃあもう何もないけれど、今はわりかし満ち足りた日々を送っている。

すっかり元気に回復した母に会いに、たまに実家に帰る。悩みがあるときは、じっくり聞いてもらったりする。
「うまくいかないことがあってさ」そう言葉にすると、母は言った。

「忘れたい思い出も、あんたならきれいな言葉でまとめられるよ」

「ははは」と笑いながら隠れるように自分の部屋に入ったが、内心胸がじいんとなった。これからも、ずっとずっと、書いていこうと思った。いや、書く。私はこれからも、書き続けるんだ。そう決めた。

お母さん、いつもありがとう。小学生の時の私を救ってくれて、ありがとう。私が文章を書くきっかけをくれて、本当に、本当にありがとう。

どうにもならない程つらいことや悲しいことで泣いている人がいるならば。今いる場所から逃げ出したくてたまらない人がいるならば。次は、私が書いた文章で、そんな誰かをとびきりの場所に連れてゆく、つもりです。

ふつかよいのタカハシ
フリーライター。3度の飯より酒を愛す。文章を書いたり酒を飲んだりしながらのほほんと暮らしている。1人でも多くの人と乾杯するために人生を謳歌している。

文・写真/ふつかよいのタカハシ
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)

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