父は空気が読めない。

”今日、誕生日だね。おめでとう。
もう27歳だね。現代詩手帖賞を受賞してから10年、
一歩一歩積み上げてきたね。
これからもいろいろな分野に挑戦してみると良いね。

ちなみに27歳はお父さんとお母さんが婚約した年です。
でもね、悠光ちゃんはゆっくり良い人を見つけてね。”

 札幌の実家にいる父(68歳)から、27歳の誕生日に届いたメール。
 「良い人」って。私はiPhoneを覗き込んだまま呆気にとられた。お祝いのメッセージと見せかけて、いきなり殴られたような心地だ。「ゆっくり」だって? 正気? まったく心休まらないんだけど……。
 胸をえぐられながらも、「じゃあ父は、母のことを『良い人』だと思って一緒になったんだなあ」という当たり前のことに思い至った。
 二人はお互いの「良い人」同士だったのだろう。もし違う人と結ばれていたなら、私という人間は存在しなかった。その発端は、二人が27歳のときに起こったというわけだ。
「良い人」と一緒になるまでの過程を想像する。知り合ってデートを重ねて、結婚して家族になって、子どもが生まれて、親戚同士のお付き合いが始まる――。気が遠くなる。それはまるで、小惑星の誕生を望遠鏡で観察するように果てしなくて。でも本当は、私自身にも決して遠くない未来であるようだ。

「あるとき、お家でピアノを聴かせてもらって。彼女の演奏を聴きながら、自分は『この人と結婚しよう』と思ったんです」

 そんなくすぐったい馴れ初めを、父は柔らかく、味わい直すように語るのだった。よりにもよって、母方の祖母の葬式後に――。
 親戚のみが集う通夜振る舞いの席、喪主の叔父がマイクを手に、祖母との思い出を語りはじめた。その流れで私たち一家も、祖母にまつわるエピソードを一人ずつ話すことになったのだが……、父が語り出したのは母との馴れ初めだった。

 いやいや、父よ。確かに、母方の祖母と出会うためには、まず母と知り合う必要があるのだし、結婚を決めた瞬間まで話を遡るのは、うん、決しておかしくはないのだけど、その……。母方の親戚一同が見つめる中で、恥ずかしくないの? 嬉しそうにマイク握っちゃってさあ! 同じテーブルにいるお母さん、どうしていいかわからなくて、下向いちゃってますけど?
 いつも通りの父の空気の読めなさに、私は泣き笑いした。「空気を読む」なんて規律は、父には関係ないのだ。父は嘘がつけなくて、とことん生真面目で、人の言葉を疑わない。伝えたいタイミングが伝えるタイミング。言葉に率直なのか、逆に率直すぎて不器用なのか。あの馴れ初め話は、祖母の介護を全うした母を父なりにねぎらいたかったのだろう、と今ならば理解できる。

画像: 親孝行エッセイ「父の“良い人”」文月悠光

 考えてみれば、父から何かを押しつけられたことは一度もなかった。保守的で過保護な家風ゆえに、同世代の友人たちが許されても私は許してもらえなかったこと、「なぜ今このタイミングで、そんな余計なことを伝えてくるの!?」と空気の読めなさに苛立ったこと、「女の子だから、末っ子だから」と8つ上の兄との扱われ方との差に閉口したこと、過去の不満を挙げればきりがないけれど。
 勉強と読書だけは惜しみなくさせてもらった。小学生の私を図書館に連れ出してくれたのも父だったし、物書きに憧れていた私に、日記をつけるよう勧めたのも父だった。その日記帳から詩を書きはじめた私は、17年後の今も詩を書き続けている。

 幼い頃、一日の中で特に待ち望んでいたのは、診療所から夜遅く帰宅する父を、玄関まで迎えに行く瞬間だ。
 「お父さん、おかえりなさい!」
 冷え冷えとした廊下を裸足で駆けて、父に抱き上げてもらうと、「足冷たいね。ちゃんと靴下履きなさい」とやはり怒ったような、つっけんどんな口調で父は告げるのだった。
 私が鼻をすすると、「風邪引いた? 熱は?」と、私の額におでこを「ゴチン」とさせるのも嫌いじゃなかった。歯科医の父の頭は、知識が詰まっていて、たくさん勉強してきた人の音がした。髪は薄かったけど。
 背が高くて、足音が大きくて、帰ってきて欲しいような、欲しくないような、でも帰ってこないとソワソワする、それが私にとっての父だ。専業主婦の母と違い、父はいつも「外」の世界を持ち帰ってくる存在だった。
 重たい革のブリーフケースの金具を、父は慣れた手つきで外す。私にはさっぱりわからない執筆中の論文や、学会の資料を取り出す。いつしかその中には、私の執筆した雑誌や本が混じるようになった。実家を出てから8年経つ今も、掲載誌のほとんどを買い揃えてくれている。
 今年の夏、私は「anan」のセックス特集に、性愛をテーマにした詩を執筆した。雑誌の表紙には半裸の男性タレント、中身は赤裸々かつ実用的な内容。私は、こういった情報に免疫のない両親のことを「ショックを受け過ぎてしまうのでは」と半ば本気で心配した。
「ananは刺激が強すぎるので買わなくていいよ。掲載部分だけ私が送るからね」とメールしたが、時すでに遅し。

”an anはもう買ったよ(恥ずかしい)
本を裏返してレジに出したらそのままレジを打って
表を見ないで袋に入れてくれました(良かった)”

 堅物な父があの「anan」をレジに運んだのかと思うと、それだけで笑ってしまう。本当に、どんなに恥ずかしかっただろう。

 年末に帰省したら聞いてみよう。父と母が恋人同士だった頃の話を。私が生まれたときのことを。それからLINEのやり方を教えてあげなくちゃ。北海道はまだまだ余震も心配だから、いざというとき、すぐに繋がれるように。

"お父さん、誕生日のお祝いのメール、ありがとう。
27歳はお父さんとお母さんが婚約した年だったんだね。
41年前の二人へ、おめでとう。そして、ありがとう。

東京にも「良い人」はたくさんいるんだろうなあ。
でも、私自身が誰かの「良い人」に届くには、もう少し時間がかかりそうです。
お父さんもお母さんも、もう70歳近いのにね。待ちくたびれちゃうよね。ごめんね。

お父さんはどうやって「良い人」を見つけたの?
どうやって、お母さんの「良い人」になれたの?
お正月に帰ったとき、こっそり聞かせてね。約束だよ。"

文月悠光(ふづき・ゆみ)
詩人。1991年北海道生まれ、東京在住。16歳で現代詩手帖賞を受賞。高校3年時に発表した第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』(思潮社)で、中原中也賞、丸山豊記念現代詩賞を最年少で受賞。近年は、エッセイ集『洗礼ダイアリー』(ポプラ社)、『臆病な詩人、街へ出る。』(立東舎)が若い世代を中心に話題に。

文・写真/文月悠光
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)

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