家族が好きだ。
母と父、姉と兄、姉の旦那に姉の甥っ子姪っ子。
そして僕。
うちの家族はめちゃくちゃ仲が良い。

東京の仕事の割合が多く、月の半分は東京で活動しているにもかかわらず、頑なに活動拠点を関西から関東に移行しない理由のほとんどが「家族と離れたくないから」である。
もちろん、今まで何度も東京への移住を考えたことはあったけれども、その度に「でも家族と離れるのはなぁ…」と踏みとどまっている。

画像1: 親孝行エッセイ「僕の帰る場所」ニシキドアヤト

僕はライターになる前、8年間ほどサラリーマンをしていた。
大手家電量販店の販売スタッフを大阪で7年。そして東京で求人広告系の営業マンを1年。

生まれてからずっと実家で育ってきた僕が「家を出て東京で仕事をする」と母に告げた時は、心底びっくりされたし、反対もされたが「あんたは一回言い出したら聞かへんからな」と諦めたように呟いていた。
父は「そうか。頑張れよ。寂しくなるな」と背中を押してくれた。

上京の日、朝起きたら母が仕事に出るところだった。
母は戸棚からなにかを取り出して「お兄ちゃんもお姉ちゃんも転職祝いくれたで、これはお母さんからね」と、お金の入った封筒を渡してくれた。
「引越しの準備はちゃんと出来たの?手続きもちゃんとやるんやで。あんたはホンマ、いつもギリギリやからな」と母は声を震わせて、目頭に涙を溜めながら言った。

そんな家族と離れるのは寂しかったが、僕は初めての一人暮らしにワクワクしていた。
ワクワクし過ぎて、「上京したてのヤツが買いがちな照明」も買ってしまったほどだ。

画像: 買いがちな証明

買いがちな証明

仕事は、正直そんなに上手くいってなかった。
そこそこの成績を収めてはいたけれど、所詮「そこそこ」であり、自分が思い描いていたような結果にはほど遠く、「なんで上手くいかないんだろう」ともがき苦しんでいた。

忙しい日々が続き、なかなかまとまった休みは取れなかったけれど、お盆期間に実家へ数日帰ることが出来た。
家族に「仕事はどう?」と聞かれ、「順調だよ」と答えた。
「あんまりかな」と答えることによって、東京に行ったのが失敗だったと思われたくなかった。家族の前ではいつでも成功している自分でいたかったのだ。
僕は仕事の成果物なんかを見せたりして、両親も喜んでくれていた。

東京へ帰る日、家族総出で空港まで送ってくれた。僕は車から降りて、手を振りながら遠ざかっていく家族を眺めながら「置いていかないで」とポツリと呟いて泣いた。

仕事は相変わらず思うように結果が出ず、毎日深夜まで業界の勉強をしたり、営業トークの練習をしたりしていたが、結果的にパフォーマンスも落ち悪循環に陥ってしまって、心身ともにボロボロになっていった。

家族のLINEグループを見ると、父の誕生日会の写真がシェアされていて、「なんで自分がこの場にいないんだろう」「父が死ぬまでにあと何回会えるんだろう」と色んなことを考えてしまい、ワンワン泣いた。
『千と千尋の神隠し』で、ハクからおにぎりをもらった千くらい泣いた。

そんなあるとき、急に眠れなくなってしまった。眠たいのに眠れない。
会社のことを考えると吐き気がすごい。体が震える。
急に、スイッチをパチッと押したかのように「もう会社に行けない」という思考に陥ってしまった。気づけば母に電話していて、ボロボロ泣きながら今の状況を話した。

泣きすぎて自分でも何を言ってるのか分からないほどパニックになっていたけれど、母は落ち着いて話を聞いてくれた。
「帰ってくる?」
その一言で、自分でも驚くくらい落ち着くことが出来た。

母は話を続ける。
「この前アヤトが家に帰ってきてた時にな、持ってきてたメモ帳読んだんよ。もう、ぎっしり仕事のことばっかり書いてたな。勉強嫌いで、ノートを一冊も使い切ったことのないアヤトがな。頑張ってるんやな、と思うと同時に怖くもなったわ。なんか無理して生き急いでるみたいに見えたんよ」

母は全て見透かしていた。
東京でもがき苦しむ僕を。
家族を心配させたくない僕を。
東京に来たことを失敗だと思われたくない僕を。

「帰る場所はここにあるんやから、仕事なんかいくらでもある。帰ってきたらゆっくり休んで、次になにするかを考えたらええよ」

母はいつも家族のことを考えている。
昔からずっとそうだった。

ご飯のとき、僕がおかずを「美味しい!」と褒めると自分の分まで「食べ」と渡してきたり、僕以外の家族は甘い卵焼きが好きなのだけれど、お弁当には僕のためだけにしょっぱい卵焼きを作って入れてくれたり、数え出せばキリがない。
そんな母がいるからこそうちの家族は仲が良くて、僕は家族を好きでいられるのだ。

母の一言でやっと素直になれた僕は翌月、仕事を辞め、荷物をまとめて大阪に帰った。
駅まで両親が迎えにきてくれ、車に乗り込み「おかえり」と言われた。その瞬間に「帰ってきたんだな」と改めて実感し、同時に安心した。

画像2: 親孝行エッセイ「僕の帰る場所」ニシキドアヤト

次の職に就く前に新しい趣味でも…と、はじめたブログが色んな人に読まれ、それがきっかけで今ではライターとしてなんとか生活できている。
ネットに疎い家族は、「ネットでなにか仕事をしているらしい」くらいの認識で、最初こそ「大丈夫なの?」と心配されていたが、楽しそうに日々を送っている僕をみて安心したのか、今では応援してくれている。

実家には一年ほど暮らし、今は近くに部屋を借りて暮らしている。
今でも月に3日程度は帰り、姉の甥っ子や姪っ子のお遊戯会や発表会なんかには一緒に参加している。
東京から帰ってきてから、父とは一緒にお酒を飲むようになったし、兄とは以前にも増して遊びに出かけることが増えた。

家族との時間に幸せを感じるようになったのは、東京での生活があったから。そう考えると、今では「無駄ではなかったな」とすら思える。
僕はこれからもこの幸せだと思える時間を大切にしていきたい。

母は相変わらずいつも家族のことを考え、優先している。その母を、今度は僕がいつでも優先してあげられるようにしたいと思っている。

「家族に何か困ったことがあればいつでも駆けつけられるように」
そういう思いが、僕を大阪に留めているのだろう。
幸いにも、今の仕事は胸を張って「順調」と言える。

東京で一緒に仕事をしている人たちは僕に聞いてくる。
「東京には来ないの?」
その質問に僕はいつもお茶を濁す。

「行きたいのは山々なんですけどね…」と。

ニシキドアヤト
1991年の2月に生まれた、フリーのWEBライター。
お風呂に入ると手がシワシワになる不思議な現象に対して、「不思議だなぁ」と思っている。趣味はネット徘徊。
Twitter:https://twitter.com/art_0214

文・写真/ニシキドアヤト
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)

記念になるお祝いの場をお探しの方へ

センスのある贈り物をお探しの方へ

This article is a sponsored article by
''.