最後にお母さんに髪を結ってもらったのはいつだろう。髪を結いながら、私の話を「うんうん」と聞いてくれたお母さん。いつでも自分の存在をまるごと肯定してくれたお母さん。
だけど当時は、自分を思いやるお母さんの言動を理解できなかったり、疎ましく思ったり、ときには反発してみたりもしました。
そんな「あのときはごめんね」を、大人になった今、もう一度お母さんに髪を結ってもらいながら伝えます。
「おかあさん、あのね」
娘のあるがままを受け入れてきたお母さん
今回お母さんに「ごめんね」を切り出すのは、現在5歳の娘さんを持つマユカさん。まずは、マユカさんからお母さんの印象やエピソードを語っていただきました。
–––マユカさんから見てお母さんはどんな人ですか?
マユカさん「いい意味で適当です。一人っ子にしては門限も指定されていなかったし、自由にさせてもらっていましたね。私は24歳のとき子どもができて、結婚してるんですが、妊娠が発覚したときも母は一切反対せずに喜んでくれたのを覚えています」
–––マユカさんの妊娠にお母さんはどんな反応をされたんですか?
マユカさん「もともと旦那とは高校3年生のときから付き合っていて家族ぐるみの仲で、結婚を前提に同棲することは決まってたんです。妊娠を伝えたときは、過去に子宮頸がんの検査で引っかかったことなどもあり心配してくれていた分、泣いて喜んでくれましたね。そしたらそれを見たお父さんも泣いちゃって、私までもらい泣きしちゃって(笑)」
–––そんなお母さんに謝りたいこととは?
マユカさん「中学生の頃、受験勉強を頑張ったので、その地域では比較的真面目な高校に入学したんです。そしたら勉強についていけなくなって、先生にも服装のことなどで目を付けられてしまって。頭を掴まれて職員室まで連行されたこともありましたね。それから徐々に学校に行かなくなってついには三者面談で『退学します』と宣言しました」
–––そのときお母さんはどんな言葉を?
マユカさん「母は『やめてからどうするの?』と必死に諭してくれましたね。その後、母の説得もあり高校を無事卒業できました。今、自分自身も娘を持って、改めて母には心配をかけたなあと思います。仕事と育児、家事を弱音を吐かずやり遂げてくれた母に感謝の気持ちも伝えたいですね」
娘を持って初めて気付けた、母の心労。さらに、同じ立場になり改めて感じる母の強さ。マユカさんのお母さんは、母になった娘からの謝罪と感謝をどう受け止めるのでしょうか。
子育ての苦労と思い出を語る母同士の会話
お母さん「マユカが産まれた当時は髪の毛が異様に多かったよね。しかも根元から毛が立ち上がっていて、親戚からはよく石川五右衛門みたいって言われてた(笑)」
マユカさん「あはは、女の子なのにね(笑)」
お母さん「すごく手のかかる子だったよ。パワフルで一度泣いたら声が枯れて出なくなるまで泣いてた」
マユカさん「え〜!それはユマ(マユカさんの娘さん)も同じじゃない?」
お母さん「ユマよりもっと凄まじかったよ!でもマユカはオムツが取れるのが早かったの」
マユカさん「そうだったんだ。ユマはもうすぐ6歳になるけどまだおねしょするもんね」
お母さん「そうそう。マユカは2歳3ヶ月でオムツが取れてその後も一切おねしょしなかった。そこに関しては助かったかな」
お母さん「幼稚園に入ったあたりからマユカは忍耐力と集中力が芽生えてきたよね。プールも英語も始めてから一言もイヤと言わずにしばらく通ってた」
マユカさん「そこでできた友達ともしょっちゅう遊んでたよね」
お母さん「そう。なるべくお友達はたくさんいた方がいいなと思って。私もそうだったけど親に言えないことでも友達には話せたりするじゃない」
マユカさん「うん、そうだね」
お母さん「色んな方面に根を張っていけたら、選択肢も増やせるでしょ?」
運動も勉強も遊びも。精一杯やり遂げた小学生時代
マユカさん「遠くに出かけることも多かったよね。スキーには毎年行ってた記憶がある」
お母さん「3歳から行ってたよね。小学生にもなったらすぐ滑れるようになってた」
マユカさん「体を動かすのが好きだったからね。小学校では新体操部にも入ってたし」
お母さん「大会で優勝もしたよね。跳び箱の上で逆立ちして飛び越えていく種目。背が高かったから動きも大きく見えてかっこよかった」
マユカさん「そのときは毎朝6時半に起きて朝練に参加してたし、習い事も休まなかった。成績も悪くなかったし真面目だったよね」
お母さん「中学生に入っても塾に通ったりして頑張ってたじゃない」
マユカさん「お母さん、仕事してたのに毎回送り迎えしてくれてたよね。でも部活は行きづらくなって……」
お母さん「先輩から、マユカの同級生のプリクラ帳を捨ててこいて言われたんだよね。でもマユカは『それはおかしい』って断った。正しかったと思う」
マユカさん「でも、それがきっかけで次は私がターゲットになったりして。あの頃から少しづつズレていった気がする」
運動神経抜群で、成績優秀だったマユカさん。ですが、部活内での不和から学校に居心地の悪さを感じ始めていたようです。その鬱屈を母に発散してしまい心配をかけてしまったそう。
学校だけが世界じゃない。授業以外の努力も見ていた母
マユカさん「高校に入ったはいいものの、勉強についていけなくなって結局バイト三昧になっちゃった。遅刻は当たり前になって1、2週間家に帰らなかったこともあった。家でも反抗的な態度ばっかりとってたよね」
お母さん「そのときはね」
マユカさん「三者面談では『学校やめます』っていきなり言いだしたり。ユマが生まれてわかったんだけど、自分がやってきたことでお母さんには相当心配かけたんだろうなって思う。当時はごめんなさい」
お母さん「その進路を決めるタイミングで喧嘩したこと覚えてる?」
マユカさん「喧嘩?」
お母さん「そう。『お母さんは私に色々言うけど、何者にもなってないじゃん!』って言ったの(笑)」
マユカさん「覚えてない!」
お母さん「だから『じゃあ何か手に職を付けてやろう』って思って宅建免許の資格を取って宅建士になれたのよ」
お母さん「それにマユカ、バイトはすごく頑張ってたじゃない。あのキツい仕事をよくぞ3年間も続けてきたな、って感心してたよ」
マユカさん「クリーニングの工場勤務だったから夏場はアイロンの熱で40度近く室温が上がることもあったんだよね」
お母さん「そうそう。マユカの忍耐強さがここにきて発揮されたなって感じ。それに、仕事に出て色んな人と接するのことは悪いことじゃないと思ってたよ」
マユカさん「そう?」
お母さん「うん、それに信用してたしね。ずっと」
母になったからこそ認め合える、子育てへの姿勢
お母さん「それにお母さんはずっと仕事に出てたし寂しい思いさせて悪かったなって思ってる。母親らしい母親ではなかったけど……」
マユカさん「ううん、そんな風に思ったことないよ。仕事をしながら育児も文句ひとつ言わずにやってくれて、今でも感謝してる」
お母さん「私なんかよりマユカは面倒見も良いし、ちゃんと子育てできてるよ」
マユカさん「そうなのかな」
お母さん「普通は面倒だと思いがちな離乳食も、わざわざ本を買ってきて『どんな離乳食あげようかな。作るのが今から楽しみ』って言ってたじゃない。そのとき、『あ、この子は大丈夫だな』って確信した」
マユカさん「あはは(笑)」
お母さん「今後もその忍耐強さがあればきっと大丈夫だから」
母と同じ景色を見たからこそ、過去にしてしまった身勝手な振る舞いを謝罪できたマユカさん。ですがそんな中でも、マユカさんのお母さんは一人の人間として娘の長所を見出し、認めてくれていたようでした。
キリッと一本にまとめられたポニーテール。家事や育児、仕事に集中できるそのポニーテールは母としての覚悟を表現しているようでした。そしてお母さんの前では娘の表情に戻ったマユカさんも、揺るぎない母性は脈々と受け継がれていたようです。
大人になった今だからこそ、お母さんに「久しぶりに髪の毛結んでくれない?」と甘えてみてはいかが?
背中越しなら、子どものような素直な気持ちで「おかあさん、あのね」と話し出せるかもしれませんよ。
ライター/いちじく舞
写真・編集/高山諒(ヒャクマンボルト)