わたしの父を一言で表すと、「まじめ」の三文字に尽きると思う。
家族を支える大黒柱として、平日は文句も言わずに朝から晩まで一生懸命働き、休日は毎週疲れた身体で家族サービスをしてくれた。仕事の愚痴なんて一度も聞いたことがないけれど、じつは疲れきってほとんど鬱状態になったこともあったと大人になってから聞いた。しかも、二度も。
資産運用に詳しく、計画を立てることや堅実であることを大切にしている、とても道徳的で正義感の強い人。それが、わたしの父だ。
今回だんらん日和編集部から「お父さんかお母さんに、なにか手作りでプレゼントをしてみませんか?」と言われたとき、わたしは即答していた。
「お父さんにします。いつも、なにをあげたらいいかわからないので」
両親とは仲がいい。折に触れて手紙を贈ったりプレゼントを買ったりする。でも、思い返すことができるのは母へのプレゼントばかり。母とは趣味や感性が合うが、父のことは正直よくわからないというのが本音。父はお酒は飲まないし、タバコも吸わない。ゴルフもやらないし、おしゃれもしない。だから、父の日も父の誕生日も、いつもなにをあげたらいいのか全然わからない。わからなさすぎてあげないときもあるくらいだ。
「なにを作りますか? そろそろ決めないと……」
担当編集者が、答えを急かす。
考えに考え、考えまくって一つの答えが出た。
「ろくろ、だ!!」
ろくろをプレゼントするという意味ではない。ろくろを回したいな〜と思ったのだ、わたし自身が(笑)。仕方がない、だって父が欲しいものなんて思いつかないし。
そうしてわたしの謎のろくろへの熱意によって、父へのギフトは「陶芸」に決まった。
白金高輪駅で「ろくろ」を回す
向かったのは、東京都港区にある「白金高輪」駅。
駅から歩くこと15分で……、
今回お世話になる「白金陶芸教室」に到着です。
まずは、陶芸用の土を練る。練っていくうちに土につく模様が「菊の花」のように見えることから「菊練り」と呼ぶらしい。
担当してくださる先生の菊練りはいとも簡単そうに見えるのに、自分でやってみるとなかなかうまくいかない。こんなことで大丈夫だろうか、と出だしから不安になる……。
「今日はなにを作りますか?」
先生に聞かれたときには、すでに答えが出ていた。
「とにかくたくさんお水が飲める、大きな湯のみにします」
父は、お酒を飲まない。でも、食事の際にとにかくたくさんの水を飲む。
大きなマグカップに茶渋がついてどれだけ汚れていても、「これがいいんよ。大きくて、たくさん飲めるから」と言っていたことを思い出したのだ。
「とにかく、大きいやつを」
この日はそればかり繰り返していたような気がする。
早速、念願の電動ろくろを体験。手を水で濡らして土に触れると、ぬるぬるっとした感覚が! 気持ちいいような、気持ち悪いような。
それでも恐る恐る力を加えると、みるみる形を変えていく土。
これは……、面白いかもしれない。
父との思い出を語る際に、「食べ物の恨み」の話を避けることはできない。
なんのことはない、小さな頃に「絶対にこれだけは食べないで!!」と言った物を食べられた記憶があるのだ。しかも何度も。
ときには、「これはわたしのよ、わかった?」と“予約”までしたスイカを食べられた。「食べないでって言ったじゃん!」と怒っても、「そうかいの〜? すまんすまん」と悪びれていない(し、さほど聞いていない)父をどれだけ憎らしく思ったことか。
しかも、その後何度も父に食べ物を食べられる夢を見た。どれだけ食い意地が張っているのかと我ながら情けないけれど、家族でも定番の思い出だ。
もうひとつ印象的なことをあげるとすれば、父が定年退職をしてからよく笑うようになったことだろうか。
それまではちょっとした冗談でも怒り出すようなところがあった。なにせ真面目すぎるから。お笑い番組を見ていても眉間にシワ。隣でお腹を抱えて、笑い転げているわたしと母の横で、腕組みをしたまま「まあまあだった」と一言。こんなに陽気な母と笑わない父はどうして結婚したのだろうなんて思ったこともあったが、最近はわたしたちの冗談にも「わはは」と笑う。なんとなく、それも嬉しい。
印象的な思い出がぽつ、ぽつと思い浮かぶものの、あまり数は多くない。
理由は父が、わたしが14歳の頃に単身赴任をしてしまったからだろう。
それでも、もう一つ、絶対に忘れられない思い出がある。
大学4年生の頃、わたしは引きこもりになった。今の仕事からは意外だと思われるかもしれないけれど、精神が不安定になり誰にも会えなかった。
夜中になると声が枯れるほどに泣いてわめいて、親へも暴言を吐く毎日。反抗期もなかったから、きっと親はびっくりしていただろうと思う。自分でも驚いていた。それでもどうしても止められなかった。
その時期の、とある夜。部屋で父と話していて、なにかに激怒した。なにに怒ったのかは、もう覚えていない。とにかく叫んで、出て行ってよ! などと怒ったと思う。
追い出された父は、その後何度もドアをノックして、扉を開けた。そのたびわたしは怒鳴る。来ないで! 出て行ってよ! 叫びに近いほどに、大声で泣きながら。
「お父さん、さえりのことをちゃんとわかりたくて」
父はそんなことを言い、わたしはそれでも拒み続けていた。ひどい言葉も、物も、力任せに投げつけた。投げた瞬間に、後悔をしながら。
それでも、父は何度も部屋へ入ってこようとした。
その時の顔が、忘れられない。
ひどく悲しそうで、困惑していた。いつもの眉間のシワもなくなって、なんだか泣き出してしまいそうにも見えた。
しばらくしてわたしはやっと泣き止んで、父が静かに部屋へ入ってきた。そうして、ベッドの上で抜け殻のようになっているわたしを後ろから抱きしめてくれた。子どものように足の間に入れて、ほんの少し揺れながら。
こんな風に父に抱きしめてもらったのはいつが最後だっただろう、とぼんやりと思った。
父からは、古びたパジャマの匂いがした。
そういえば幼い頃は、「いってらっしゃい」と「おかえり」で頰にキスをするのが習慣だった。朝の父は無臭なのに、帰ってきた父はホコリと脂と、人の息遣いの匂いがした。でもその記憶のどれとも違う匂いだった。
涙が乾きピリついた頰のまま、ぽつり、ぽつりと話をした。
難しい話はしていない。わたしが書いた絵について話したり、最近見ている映画について話したりしたような気がする。
すると父が言う。
「こうしてゆっくり話すのは、いつぶりかねぇ」
あれだけひどいことを言って、力任せに傷つけたのに、そんなのなんにもなかったかのように嬉しそうな声だった。わたしはもう大人の体になっていたけれど、それでもまだ父の体は大きい。
その腕の中で、家族ってなかなか壊れないんだなと、思った。
それから何年か経ち、あの日々が嘘だったかのようにすっかり元気になった。今わたしはフリーでライターの仕事をし、父はわたしの経理を担当してくれている。
悲しそうな顔をしていたあの日の父の顔は、心の片隅にずっとある。もう見ることはないだろうし、見ることがないようにしたいから、むしろ大事に取っておこうと思っている。
「ろくろ、回したことあるんですか?」
横に立つ先生にそう聞かれて、ハッと意識が現実に戻ってきた。ずっと土を見つめて集中していたせいで、ぼんやりしていたようだ。こんなに夢中になったことって最近あっただろうか。
「あれ、もしかして、わたし才能あります?」
余計なことを聞いた瞬間、土の口がぐにゃりと曲がった。
どうやら指先には、心がありありと現れるらしい。
先生も「陶芸の面白さって、実際に自分で触って、それがそのまま形になるところだと思います。他に、そういうものってあんまりないですからね。指の形や、その時にできた線などが、そのまま残りますから」と言う。
こうして体験すること90分。
三つの湯のみが完成した。体験教室では、90分の間であればいくつ作っても良いらしい。変わった形にしてみたり、他のものを作ってみたりしても楽しいかもしれない。
最後に、色を選んで体験はおしまい(体験内容によって、選べる色が違うので要注意)。
今回父へプレゼントするのは、真ん中のものに決定した。
焼いたあとは一回りサイズが小さくなるそうだ。写真だと分かりにくいかもしれないけれど、現段階では小さなバケツ並みにデカい(気がする)。
焼き上がりまで2週間。あとは届くのを待つのみだ。
優しくおしえてくださった先生、ありがとうございました。
ちなみに、先生曰く「カップルで体験に来られる方って多いんですよ」とのこと。お揃いの湯のみを作りに行くとか、楽しそう。
ろくろだけでなく、手びねりコースもあるので子どもでも楽しめます。
2週間後に完成
家に届いた焼き物がこちら。
ほんのり青い色が入っていて格好いい……!
「これ、作ってきたからあげる」
父にそう言って渡すと、
「おお、いいね。たくさん水が飲めそう」と返事があった。
父のことは未だによくわかっていないかもしれない。それでも、食事のときにたくさん水を飲むことくらいはわかる。
ろくろを回しているうちに、本当にいろいろなことを思い出した。「陶芸は、そのときの指の形やできた線がそのまま残る」という先生の言葉を思い出す。きっとあらゆる思いが、この湯のみには刻まれているだろう。
ふふっと笑えたこととか、後悔とか、あとは伝えきれないほどの感謝とか。
ライター/夏生さえり
写真/高山諒
編集/サカイエヒタ(ヒャクマンボルト)
取材協力:
白金陶芸教室
東京都港区白金5-13-4
Tel. 03-6318-5858
営業時間:金、土、日曜:10:00~21:00 月、火、木曜:10:00~18:30
定休日:水曜(祝日の場合は10:00~18:30まで営業)