最後にお母さんに髪を結ってもらったのはいつだろう。髪を結いながら、私の話を「うんうん」と聞いてくれたお母さん。いつでも自分の存在をまるごと肯定してくれたお母さん。
だけど当時は、自分を思いやるお母さんの言動を理解できなかったり、疎ましく思ったり、ときには反発してみたりもしました。
そんな「あのときはごめんね」を、大人になった今、もう一度お母さんに髪を結ってもらいながら伝えます。
「おかあさん、あのね」
おっちょこちょいだけど、献身的に家族に尽くしてくれたお母さん
今までお母さんに言えずにいた「ごめんね」を告白するのは、国内外問わず活躍しているプロのパーカッショニストでもあるナナコさん。まずは、お母さんとの思い出を振り返っていただきました。
──ナナコさんは幼少期どんなお子さんだったのでしょうか。
ナナコさん「母からは、かなりやんちゃな子だったと聞いています。同年代の友達でなく、お兄ちゃんの友達と遊んでいましたね。今ではお兄ちゃんはすっかり落ち着いていますが、私は破天荒なままです(笑)」
──そんな仲良し兄弟を育て上げたお母さんはどんな人?
ナナコさん「真っ直ぐな人です。だけど、抜けてる面もありますね。炊飯器の炊飯ボタンや追い炊きボタンを押し忘れて、いつまでもご飯が炊き上がるのを待っていたり、お風呂が沸くのを永遠に待っていたり(笑)」
──ギャップが可愛らしいお母さんですね。
ナナコさん「いつだって家族に献身的に尽くしてくれています。覚えているのが、ある日、私が坂道を元気一杯に転がり落ちてしまったことがあって。筋肉が見えてしまうほどの擦り傷を負ってしまったんです。お母さんは瞬く間に駆けつけて、病院に自転車を走らせました。そのときに鳴っていた古い自転車の『ギーコギーコ』という音が今でも耳に残っています」
──そんなお母さんに本日謝りたいこととは?
ナナコさん「小学校のとき、私の家族は祖父母と暮らしていたんです。祖母は孫には優しかったけど、お母さんにはキツい物言いをすることがありました。当時、お母さんが陰で落ち込んでいるのは知っていたんです。あのとき、なんでもっとお母さんの力になれなかったのかなって」
──まだその時期のことが心に引っかかっているのですね。
ナナコさん「それと、中学を卒業してから夜遊びをし始めて、家に帰らなかったこともありました。優秀な兄がいて、私だけ浮いているように感じてしまって。そんな劣等感があって、家に居づらかったんですよね。高校はなんとか卒業できたのですが、あの頃は心配かけたなと思っています。その時期のこともちゃんと謝りたいですね」
家族間の問題に向き合えなかったことや、学生時代の行動に後悔を感じているナナコさん。そんな自責の念にかられるナナコさんを見て、お母さんはどんな反応を示すのでしょうか。
仲良しすぎる兄弟。母が幼少期の思い出を語る
ナナコさん「わ!この感覚すごく懐かしい!」
お母さん「ナナコの髪の毛、だいぶ傷んでる……」
ナナコさん「前は随分明るく染めてたからね(笑)」
ナナコさん「こうやって髪の毛をとかしてもらうと、一気に昔を思い出すなあ」
お母さん「小さい頃はよくふたつ結びにしてたよね。幼稚園のときは、制服の帽子をかぶりやすいようにサイドをまとめてハーフアップにしてさ」
ナナコさん「私、幼稚園のときはいつもお兄ちゃんと一緒にいた気がする」
お母さん「そうそう。幼稚園のときのナナコはすごい人気者でさ、お友達が腕を引っ張って取り合うから、脱臼しちゃったことがあったのよ。それでお兄ちゃんとお兄ちゃんのお友達が常にナナコの護衛についてたんだよ(笑)」
ナナコさん「え〜そんなことあったんだ(笑)」
お母さん「うん。幼稚園の先生からは『お兄ちゃんの妹愛がちょっと強すぎます』って言われてたもん」
転勤先で家族の鉄板ネタが生まれた小学校時代
ナナコさん「それからお父さんの転勤で引越しを繰り返すようになったんだよね」
お母さん「小学校4年生までずっと転勤族だったからね」
ナナコさん「寂しさもあったけど、新しい土地に行けるワクワクも大きかったな」
お母さん「そうだね。福岡に仙台、名古屋に……」
ナナコさん「あっ名古屋と言えばさ、あれ覚えてる? お母さんが近所の魚屋でカレイを買って台所で開けたら、まだピンピンしてて。お母さん、びっくりして冷凍庫に突っ込んで数時間放っておいたことがあったよね(笑)」
お母さん「名古屋はそんなに魚が新鮮なとこだって知らなかったから、驚いたのよ(笑)」
ナナコさん「この話、親戚で集まるたびにお父さんがしてる。うちの鉄板ネタだね」
お母さん「お父さん、いつもその話するんだから恥ずかしいわよ。それで、東京に引っ越しておじいちゃんとおばあちゃんと一緒に住んだんだよね」
お母さんの悲しみを拭えず、不安を与えたあの頃の「ごめんね」
引越しを重ねていたナナコさん家族。2人の思い出話が、祖父母と同居することになった頃に差し掛かったところで、ナナコさんからあの話を切り出します。
ナナコさん「東京でおじいちゃんやおばあちゃんと一緒に住んでいたとき、お母さん、おばあちゃんに強く当たられることがあったよね。お母さんの気持ちになって考えてみると、あのとき辛かっただろうなって」
お母さん「それはね、しょうがないことだよ」
ナナコさん「でもお母さん、2階の部屋の隅で泣いてたでしょ。お母さんが一番助けを必要としてたときに、私全然力になってあげられなかった」
お母さん「あれは、どうしようもないことだった。だからいいの」
ナナコさん「でも、あの時代に私が間に入っていけていたら、2人のわだかまりを少しでも解消できてたのかなって思ってる。ごめんね」
ナナコさん「あと高校に入ってから、私、ちょっと横道に逸れてた時期があったよね」
お母さん「そうだねえ。ナナコ、家に戻らなかった日もあったよね」
ナナコさん「あの頃、お母さんすごく心配してくれてたのに、その気持ちをないがしろにしてたよね」
お母さん「しょうがないよ。そういう時期だったのよ」
お母さんが信じ続けてくれたからこそ、今がある
ナナコさん「大人になって、自分の周りで亡くなる人なんかも出てきて。お母さんがどんなに不安だったのかわかった。せめて生きてるってことだけでも連絡しておくべきだったなって反省してる」
お母さん「不安だったけどね。母はいつだって祈るのみよ」
ナナコさん「あのとき心配してくれたり叱ってくれたから今、変に逸脱しないで生きていけてる。ありがとうね」
お母さん「そういうこと、全部わかるときが来るってお母さんわかってたよ」
ナナコさんが今回打ち明けた2つの謝罪。お母さんは言葉少なに受け入れ、鏡ごしに柔らかな笑顔を見せてくれました。
「2つ結びなんて何年ぶりだろう……」と照れながらも、バランスよく2つに結われた髪の毛を眺めていたナナコさん。そして、ナナコさんがずっと抱いていた2つの罪悪感は「ごめんね」をきっかけに解消された様子。
大人になった今だからこそ、お母さんに「久しぶりに髪の毛結んでくれない?」と甘えてみてはいかが?
背中越しなら、子どものような素直な気持ちで「おかあさん、あのね」と話し出せるかもしれませんよ。
ライター/いちじく舞
写真・編集/高山諒(ヒャクマンボルト)