ライターの仕事を始めてから、父のことを人に話す機会が増えた。父は林業とヨガのインストラクターを生業にしているので「ヨガきこり」とか「仙人」だなんて呼ばれている。見た目はストリートファイターのダルシムにそっくりだ。

昨年、あるウェブメディアで父を取材して記事を書く機会があった。記事を読んだ人からは「実の父親を取材するなんて照れくさくない?」とよく聞かれるのだが、全くそんなことはない。父の前では夢を語ることも、彼氏を紹介することにも抵抗がない。父親というよりも、なんでも話せる気のおけない友達に近いのかもしれない。

一方で、私はあまり母の話を人にしたことがない。

父が気のおけない友達だとするならば、母はもうひとりの自分のよう。「母と私は血が繋がっているんだな」と血縁を実感することが多い。例えば、ズボラなくせに世間体を気にするところは。家の机上が散らかっていても気にしないのに、ファミレスに行くと「立つ鳥跡を濁さず」とばかりにきれいにしちゃうやつ。なんなんだろう、あれ。挙げだしたらきりがないが、とにかく母親の所作のひとつひとつが鏡を見ているようで、気恥ずかしいのだ。

仲が悪いかと言えばそんなことはない。浅野いにおと鳥飼茜の結婚についてLINE上で言及し合ったり、毎週のようにお昼ご飯の写真を(母が一方的に)送ったりするカジュアルな関係性だ。

画像: △ランチbotのような母親からのライン

△ランチbotのような母親からのライン

そんな母に、なんの脈略もなく「ありがとう」と送ってみた。

画像1: お母さんに「ありがとう」とLINEしてみた。ナカノヒトミ

返信は想定通り。普段「ありがとう」なんて冗談でも言わないのだから、こうなるに決まっている。

私の母は、26歳の時に4つ上の父と結婚した。二人の出会いはスポーツジム。インストラクターとして働いていた母に、多分父からアプローチしたのだと思う(今でも父はそのジムに通い身体を鍛え、母はインストラクターから事務に転身し働き続けている)。詳細は聞いたことがないが、さわやかな出会いだと思った。

母を一言で表現するならば「本の虫」。本や漫画を読んでいるインドアな姿からは、かつてインストラクターとして働いていた母は想像できない。
母の鞄には、300ページを越える分厚い文庫本や、誕生日にもらったというハードカバーの本がデフォルトで入っている。本は8割がミステリー小説、だろうか。中学生の頃に京極夏彦のトークイベントへ連れていかれたことを今ふと思い出した。漫画は「いくらストーリーが面白くて綺麗な絵じゃないと嫌!」という自分ルールのもと、ジャンル問わず幅広く購入している。たまに好きな海外ドラマ(大体ミステリーか医療ドラマが多い)に取って代わることはあれど、リビングの窓際の椅子に座って本を読むことは、母にとって心を癒す大切な時間なのだと思う。

画像: 母とナカノ。母の本好きなところが見事に遺伝した

母とナカノ。母の本好きなところが見事に遺伝した

やはり私は母の子供だ。私も読書が好きなのだ。小学生の時は、休日ともなると母に連れられ、市内の図書館を2、3件はしごしてトートバッグいっぱいの本を借りた。中学生になるとブラックジャックに恋をし、お昼休みは学校の図書館に入り浸った。

普段から本に囲まれていたので、当たり前のように活字に触れていたが、「あれを読めこれを読め」と強制された覚えは一度もない。両親からは自由な教育を受けてきたと思う(それは「自分のことは自分で考えろ」という意味でもあるのかもしれない)。

ただ、公務員の父(つまり私のおじいちゃん)を持つ母からは「安定した職業を」と再三言われ続けてきた。今の私を見てわかる通り、母の刷り込みは失敗したのだけど。

母の願いとは遠いところに行き着いた私。3年間の会社員生活を経て、あれよあれよという間にライターを名乗るようになった。あれほど「公務員になりなよ」と口酸っぱく言っていた母は、私が今まで書いた記事をもれなく読んでいるようだ(なぜなら母は私のSNSを全てチェックしているから)。
ご丁寧にも実家に帰る度に、記事への辛口なフィードバックを寄せてくるのは、お願いだからやめてほしい。ちなみに何気なく会話に出した同世代ライターの記事も一通り目を通していて、近況もなぜか把握している。

画像2: お母さんに「ありがとう」とLINEしてみた。ナカノヒトミ

「瞳とは趣味が合わないんだよなぁ」

母はいつも言う。その意見には私も全面同意。血が繋がっているとはいえ、趣味嗜好まで一致するわけではないのだ。
「趣味が合わない」。その言葉を聞く度に、躍起になって最近読んだおすすめの漫画を母に読ませる。気だるそうにページを開き始めしばらく経ち、少し不服そうに「なかなかよかった」と言われた時には、心の中でガッツポーズをする。
お互い素直じゃないよね。

さて、この原稿を書いているタイミングで先日、彼氏が実家に挨拶に来るというビッグイベントが発生した。「娘さんを僕にください」というアレだ。
挨拶自体は滞りなく終えることができた(とはいえ、彼氏はことごとく挨拶のタイミングを逃し、食事を終えカフェでお茶を飲み終えた最後の最後に挨拶を切り出していたのだけど)。

あれだけ日常的に「え〜まだ結婚なんて早いよ〜」と言っていた母だけど、いざ彼氏が挨拶にくると「こんな娘でよければ」と快諾をしてくれた。

前回の母親への「ありがとう」は唐突だったから、このタイミングで再び送ってみようと二度目の「ありがとう」を決意。軽いノリで切り出してみた。

画像3: お母さんに「ありがとう」とLINEしてみた。ナカノヒトミ

娘の嫁入りに拒否反応を示していた母だけど、いざ結婚が決まると軽やかだ。それに少し嬉しそうだし。

きっとこれからも、母とはとりとめのない会話を続けていくだろう。本音で語る、だなんて恥ずかしいことはお互い絶対にしないし、私がしおらしく「お嫁に行きます……」なんて三つ指つくこともない。どこまでもこのお気楽さが心地よいのだ。

執筆/ナカノヒトミ
編集/プレスラボ

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