「あんたの行動はお母さんの心臓に悪い」と、先日母からクレームが入った。仕事を辞めて心安らかに暮らす初老の母にとって、私は唯一その生命を脅かす亜種らしい。

一方そんな母はと言えば、私にとってこの世でいちばん偉大、かつ最も恐ろしく、世界一尊敬していて心底ウザったい存在だ。

画像: 母と私と兄ふたり

母と私と兄ふたり

弟とふたり兄弟のTHE・長女な母は、とても責任感が強く堅実で現実的な人間だった。兄ふたりを持つわがままルーズな末っ子の私には余計にそう見える。

私たち兄弟が今も未来もお金に苦労せず「安定した人生」を送れるようにと、公務員の仕事に精を出し、家計を支え、教育投資を惜しまなかった母。両親のおかげで兄弟全員、経済的には何ひとつ不自由することなく関西の私大まで卒業させてもらえた。

しかしその分、堅実で現実的な母が描く「安定した人生」へのプレッシャーを、かつての私は常に感じて生きてきた。

高校からエスカレーター式に大学に上がる私は、第一志望だった「文系でいちばん偏差値が低いメディア系の学部」への進学を母の怒鳴り声とともに却下された。

「ちゃんと将来のことを考えなさい!!!」

そんな怒気まみれのド正論とともに母が勧めたのは「文系でいちばん偏差値と就職率が高いグローバル系の学部」である。反論するだけの意思も勇気もなかった私は、母が敷いた「安定した人生」という名のレールにヨロヨロと乗った。

そして大学卒業後、わたしは無事に大手外資系メーカーに新卒入社、勤続6年目となる今はマーケターとして国内外を忙しなく飛び回る日々を過ごして──

  

──いたらカッコよかったのだが、現実はまず「就職浪人して大学に5年通ってまで入社した零細企業を2ヶ月でクビ」である。この世は地獄だ。

さらにその後、転職した会社を2ヶ月で病んで辞め、
さらに転職した会社に1年半勤めたのち「もう会社員は無理だ」と察し、
退職して突然フリーランスのライターになると同時にキャバクラ入店し、
「ゆとり世代の早期離職者」というお茶の間のサンドバッグとしてテレビ出演、
仕事が軌道にのったと思ったら東京に病んで沖縄移住、
かと思えば1年半後に思わぬ出会いで「わたしは土佐の嫁になる!」と高知移住、
そして別れて大阪帰還。

そんな5年で母の心臓を止めてしまいそうだ。よく耐えてくれた。

もはや脱線事故と化した我が半生、きっと母はめちゃくちゃ心配し、そして心底呆れたと思う。

画像1: お母さんに「ありがとう」とLINEしてみた 真崎睦美編

だから昨年秋、母から突然このメールが届いたときは驚いた。誤字脱字の多さと独自の論理展開に、ではなく、母の理想とはかけ離れた私の歩みを「オミシロイ!(面白い)」と肯定してくれたことに。

驚き、羞恥、苦笑、少しのウザみ、そしてじわじわと湧き上がる嬉しさ。このメールを前にいろんな気持ちが渦巻いて、結局このときは上手く返信ができなかった。

でも、今はハッキリと、「受け入れてくれてありがとう」と思っている。

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先日、母が誕生日を迎えた。58歳になったらしい。

お祝いの言葉とともに、あの時は言えなかった感謝の気持ちを込めて「いつもありがとう」と母に送ってみた。

画像2: お母さんに「ありがとう」とLINEしてみた 真崎睦美編

お祝いにはサクッと反応し、すぐに話を別に移してきた。なにげない平和なやり取りが続く、のかと思った。

画像3: お母さんに「ありがとう」とLINEしてみた 真崎睦美編

「むっちゃんの歳には、むっちゃんいたで」

おうふ。29歳未婚独居の娘に対する殺傷力バツグンの嫌味が飛んできた。年は取れどもさすが母、隙を見せればすぐコレだ。

いいねだけ返して無視を決めこむ私。頼むから黙っておとなしく感謝されてほしい。

“結婚、仕事、あんたもそろそろちゃんと考えなさい!!!”

かつての如くそんな怒声が聞こえてこなくもないが、こちとらどうせ母の寿命を縮めるような生き方しかできない娘なのだ。

こっちはこっちで楽しく生きるので、どうか私の「安定」など諦めて、母にも笑って自分勝手に生きていてほしい。

執筆/真崎睦美
編集/プレスラボ

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