私の母は、とにかく「さらけだして」いる。
風呂から上がると、全裸で脱衣所を出る。ホカホカの蒸気を裸体にまとわせながら、家族がテレビを見る横をすり抜け、パンツを取り出し身につける。
笑い声は隣の家にまで響く。「めちゃイケ」がある日は特に大きく、お隣さんが「今日、めちゃイケか」と気付くほど。
子供は全力で可愛がる。子供がすることはどんなくだらないことでも全力で褒め、私を「ママのかわいいちゃん!」と呼びしょっちゅうキスをした。
めちゃくちゃテンションの高い彼女が一家に与える影響は大きい。
母が笑えば家族は明るく、母が悲しめば家族はしゅんとした。
私が26歳のとき、はじめて実家を出て、同棲を始めた頃のこと。
しばらく経って帰省をすると、父と母が喧嘩をしていた。
理由はくだらないものだったと思う。車の運転が下手だのどうだの言いながら、「お前があの時」「いやアンタだって」とふたりともムキになって矢継ぎ早に言葉を繰り出す。そういう些細な言い合いはよくあることで、数時間も経つと普通に会話をするようになる、というのもいつも通りのことだった。
しかし、その日の喧嘩にはなんだか違和感があった。
なんとなくだけれど、母の声のトーンが妙に激しいように感じたのだ。私がまだ実家にいた頃は、もう少し抑えて喧嘩をしていたように思う。少なくとも、ここまで感情をむき出しにしてはいなかったはずだ。
近頃ワイドショーを騒がす「熟年離婚」というワードが頭をかすめる。ヒヤッとした。
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その晩、父が寝静まったのを確認して、母に「なんか、今日は激しい喧嘩だったね」と聞いてみた。すると、「あなたの前ではしないようにしていたからね」と母が言う。
「え、しないようにしてたの?」
「うん。あなたが生まれたときに決めたことだから」
はじめて聞いた話だった。
詳しく聞くと、母ははじめて子供を産んだとき「子供の前で大きな喧嘩をしない」「子供の前で他人の悪口を言わない」「子供の前で貧乏を悟らせない」の3つを決意したという。
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恥ずかしながら私は、それまでずっと母のことを「感情を100%さらけだす女性」だと思っていた。
なぜなら、彼女の反応は私が見る限りとても素直だったからだ。
美味しいものを美味しいと喜ぶ満面の笑み、極限レベルで眠い時に見せる白目。牛乳を買いに行ったはずなのに、お菓子だけを買って帰ってきた時の「しまった!」という顔とか、子供が作ったものを見て喜ぶ顔とか。思い出す限り、きっとそのすべてに嘘はなかったはずだ。
しかし私は、母が誰かの悪口を言っているところも、激しい喧嘩をしているところも見たことがない。私が高校生だった頃、うちは経済的に厳しかったらしいのだが、そんなことはまったく知らされなかった(おかげで私は、気楽な気持ちで学費がバカ高く交通費が鬼かかる山奥の美大に進学した)。
私が「さらけだす女」だと思い込んでいた母は、「子供のために負の感情をセーブして、家庭の調和をはかる強い女性」だったのだ。
あぁ、めちゃくちゃ恥ずかしい〜〜〜!!!
めちゃくちゃいい母親じゃん!!!
普通に考えて、都合よく負の感情だけを持たない人なんているのだろうか。なのに、母だけはそんな都合のいいキャラクターだと、私は生まれてこの方バカみたいに信じ込んでいたのだった。
誰よりも身近だと思っていた母だけど、その母の人間らしい部分を丸々無視してきて、どの口が身近なんて言えるだろうか。
母からのまぎれもなく深い愛情を感じると同時に、わたしはこんなにそばにいる人の何を見て生きていたのだろうと、呆れ、恥ずかしい気持ちになった。
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近頃の母は、子供を巣立たせたことで心理的な変化があったのか、わたしに「子供っぽい面」や「感情的な面」を見せることが増えたように思う。
また、これまでは口にしなかったようなことも話してくれるようになった。
お父さんと出会う前の、学生時代やOL時代の恋愛の話とか。
昔よく寝坊して、子どもたちの弁当を作れない日々が続いたことがあったが、実は家計のために夜遅くに働きに出ていたから、とか。そういう話を聞いた時は、あの頃何も考えずに「弁当くらい作ってくれ!」と催促していた自分の鈍感さにめまいがする。
先日は、母が昔勤めていた職場に抱いているマイナスの感情を初めて聞いた。はじめて耳にする母親の生々しい感情は、少し怖いけれど面白くてくせになる。
これまでは子供として見守られるだけだった私も、やっと一人の大人として、家族を持つものとして、少しは母と対等に話せるようになった気がしている。実家に帰るたびに浮かれて、この頃のわたしはどんどん饒舌になっている。
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さて現在、結婚したばかりの私と夫のやり取りはかなり稚拙だ。私は夫の局部を触るのが楽しいし、夫は教育上良くないギャグを言ってはケラケラ笑っている。
しかし、子供ができたらこの関係性はどうなるのだろう? 封じ込めないといけない気持ちも言葉も、きっとたくさんあるはずだ。30年間喧嘩を我慢する、なんてこともあるのかもしれない。
わたしは、母がやってきたように、うまく子供に接することができるだろうか。
子供の前で「さらけだすこと」は、実はとても難しいことなのかもしれない……。
そんなことを考えながら実家に帰ると、やはり母は脱衣所から全裸で飛び出してくるのだった。
私はいま、子作りをしている。いつか母親になるつもりだ。うまく育てられるだろうか? 子供に悪影響はないだろうか? 不安なことは山盛りである。
けれど、全裸で歩く母を見て、これくらいの豪胆さは持ったままでいたいものだ、としみじみ思ったのだった。
社領エミ
1990年生まれ、京都在住のアホなフリーライター。取っつきにくいことをわかりやすく噛み砕いたり、みんなが気になることをインタビューしたりしています。
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文・写真/社領エミ
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)