「子供のころ、何をすると怒られましたか?」
その人のことをもっと知りたいと思ったとき、ぼくはそう質問するようにしている。「育ってきた環境」がわかると考えているからだ。テレビを見ると怒られた。部活をサボると怒られた。勉強しないと怒られた。むしろ勉強なんかすると怒られた。などなど、その答えは千差万別で、それぞれに親御さんの哲学が垣間見えておもしろい。
かくいう我が家がどうだったか。ぼくの母親は「くちをすぼめる」と怒った。いわゆる「アヒルぐち」の5割抜き版というか、ゆるアヒルぐち(以下こう呼びます)というか。ぼくは何か不満があったり、納得いってなかったりするとよくくちをすぼめた。そのたび母親に「そのくちやめて!」と怒られた。
勉強せずにポケモンばっかりしてても、連絡せず帰宅したのが深夜でも、せっかく作った弁当に食べ残しがあっても怒らない母親だったが、これだけは徹底して怒られた。いま思い返すと、それは「愛嬌」の教育だったのだろう。
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うちの母の人生は関西弁でいうところの「ベタ」なものだ。地元の商業高校を卒業し、地元の短大を経て、一般職として地銀に就職し、長男(ぼく)の出産を機に退職する。父親とは、学生時代のバイト先で出会ったらしい。ふたりの年齢差と出会いのタイミングを逆算し、母親19、父親28ぐらいの恋だと気づいたときはなんか微妙な気持ちになったが、まあそのおかげでぼくがいるので、果敢に攻めていった父に感謝である。
3年後、ぼくから3年おくれで妹が生まれた。父、母、ぼく、妹、そして父方の祖父、祖母、叔父(父の弟)の7人家族での暮らしはそれはそれはにぎやかで……ということはなく、割と陰気臭いものだった。ぼくの両親と祖父母は仲が悪かったし、傍若無人で内弁慶なところのあった祖父と勝ち気な母の折り合いは特別悪かった。ぼくは幼少期に二度、生の「ちゃぶ台返し」を見たことがある。あれは片付けが大変です。みなさん絶対にやめましょう。
そんな家だったので、母親も息が詰まったのだろう。妹が小学校に行き始めたころから本格的にパートに出るようになった。はじめたのは、カルビーの営業の仕事。日中、自動車に乗って滋賀県中のスーパーをまわり、既存商品や新製品を配って仕入担当者とコミュニケーションを取り、ひと箱でも多くのポテトチップス、かっぱえびせんを売るのがミッションだった。基本的には自宅を出てそのまま自宅に戻ってくる仕事であり、上司の同行などもほとんどないので、時間の融通が利いてよかったらしい。
得意先をまわるには配布するサンプルが必要である。サンプルは母親の意思に関係なく、自宅宛にバンバン送られてきた。通常サイズのポテトチップスが12袋入ってひと箱。それが、5つも6つも届く。毎度数箱単位で余るので、我が家はサッポロポテトもじゃがりこもフルーツグラノーラも、とにかくカルビー製品が食べ放題だった。この状態は小学校から大学卒業まで続き、ぼくの友人関係形成にも多大な貢献をしてくれた。タダでお菓子をくれるやつをハブにする道理はない。
母の営業成績はそれなりによかったらしく、社内で表彰を受けたこともあった。いまも昔も、頼んだことは期日までに確実にやってくれる人なので、基礎的な仕事をこなす力があるのだろう。バイト先が同じだった経験から推測するに、この資質はすべて妹に受け継がれており、ぼくのところには来ていない。そこはちょっとぐらい似たかった。
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もちろん、似ているところもある。似ているというか、教育の結果しみこませてもらったもの、それが「愛嬌」であり、「愛想のよさ」だ。
うちの母親がとにかく人当たりがいい。同僚とかご近所とかママ友とか、とにかく継続的に人間関係を作るのがバツグンにうまい。ぼくが直接見たのは近所づきあいぐらいだけれど、顔を見ればこちらから声をかけて挨拶をし、家族の近況をたずね、困っていることがあれば自分ができることを探して実行していた。それも、終始嫌みなく。笑顔で。
そんな母なのでぼくのまわりにもファンが多い。学生時代の友だちもゼミの先生も会社の上司も、会ったことのある人はみんな何もいわずとも母が元気にやっているかを聴いてくれるし、「今井はともかく、今井のお母さんはいい人だよね!」という。放っておいても言及されるのだからたいしたものだ。
そしてこの「愛嬌」を、ぼくは「そのくちやめて!」をはじめ、言葉と背中で教え込まれた。ぼくがいまやっている編集者という仕事は、「言い出しっぺ」になる仕事だ。本や連載、記事の企画を立てて、ライターさんやデザイナーさん、写真家さんの力を借りて形にしていく。単独でできることはほとんどない。ひとりでは何もできない仕事に就いたいま、母からもらったこの性質にはずいぶん助けられていると思う。
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「ベタ」と書いた母親の人生だけど、ぼくが17歳のときに父親が倒れて植物状態になったり、父が不在でいづらくなった家を出て妹とふたりで暮らしたり、孫がふたり同時に生まれて(姪はかわいい双子ちゃん)30年ぶりの子育てに精を出したりと、ドラマチックな出来事も増えてきた。
何があっても母親は変わらなかった。14年入院したのちに亡くなった父親の葬式ですら、母は弔問客に愛嬌を振りまいていた。それも「気丈に」という感じではなく「ごく自然に」。あの背中は、我が母ながらかっこよかった。
いつか自分に子供ができたとき、その子がどんな子でも、母からもらったこの「愛嬌」だけは、伝家の宝刀として伝えていきたいと思う。お父さん、ゆるアヒル口は許さないよ。
今井雄紀
編集者。1986年生まれ。滋賀県出身。2017年、編集とイベントの会社ツドイを設立。好きなスナックはピザポテトです。
Twitter:@imai_tsudoi
文・写真/今井雄紀(ツドイ)
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)