先日、40回目の誕生日を迎えた。

その日も朝から机に向かって仕事をして、夕方には漫画の原稿を納品、その後保育園から帰ってきた娘と妻が用意してくれたケーキを食べたぐらいで、いつもと大して変わらない一日だったのだが、眠る前にふと「自分が死んだ後の風景」が頭の中をよぎって驚いた。

誰の死でもない「自分の死」を不意に意識してしまう40歳という年齢。40という数字には、30という数字にはなかった、人を弱気にさせる何か妙な力があった。

自分の死について考えたのは、僕が大学生の頃に血液の免疫疾患を患って、生死の境をさまよったあのとき以来のことのように思う。
 

今から6年前、母は癌を患いこの世を去った。母より先に死ななかった僕に「それだけであなたは十分孝行息子だよ」と、葬儀場で叔父は言った。

母が息をひきとるまで、闘病中の母のセコンドとして付き添っていた僕は、実際はどうだったかと言うと、やりたいことも宙ぶらりんなままの、ただの病み上がりの、実家暮らしのボンクラだった。
 
親より先に死ななかっただけで、本当に僕は親孝行ができたのだろうか?

死者の記憶がどこに行くのかわからないが、宇宙かどこかにアーカイブとして残されるのか、それともやっぱり火葬場で肉体と一緒に燃やされてしまうのか、どちらにせよ、母の記憶の中の最後の「僕」がもう二度と更新されないのかと思うと、6年経った今もまだ物悲しい気持ちになる。

画像: 親孝行エッセイ「更新されない親孝行」宮川サトシ

娘が僕の誕生日ケーキを嬉しそうに頬張っていた。自分の分を食べたあと、今度は物欲しそうに僕が食べているのを見つめてきた。僕はそんな娘を心底愛らしいと思いながら、同時にそんな娘を母にも見せてあげたいと考えていた。

恋愛や結婚、子どもを授かることは、自分ではどうにもできない要素が多い。だから単純な「後悔」とも違う。全ては今のあるがままで、これ以外のルートは存在しないのだけれど、一番見せたかった人に自分の分身を見せられなかったという事実は、日常に少しだけ薄曇ったフィルターとして上に被さったままだ。

娘が産まれたあの日も、学校のテストで100点取ってきたときのように、本当は母に報告したかった。バカみたいに娘のことを甘やかしてもらいたかった。で、散々甘やしてもらったくせに、「おいおい、そんなにおもちゃを与えないでくれよ」と、苦い顔して母を叱りたかった。

VRとかAIとか、未来はどんどん動いているというのに、僕のこの願いは絶対に叶わない。新しいものに触れるとき、関係ないとはわかっていつつもどこかで冷めていて、いつまでも拗ねたままの僕にはどんなものもオモチャに見えてしまう。本当はもっと未来を楽しみたいし、もっと心から感動したい。母が生きていて、娘を抱きかかえてドロドロに甘やかしてくれている世界で、思いっきり余計なことをして「生」を謳歌したい。

親より先に死ななかっただけで、本当に僕は親孝行ができたのだろうか?

親孝行はたぶんできていたと思う。そう信じたい。こんなことを言うのは横柄だとも思うけど、今僕が娘に望む親孝行がまさにそれだからだ。
 
ついでに言えば、娘に人生を謳歌してもらうためには、僕と同じ思いをさせないためには、僕自身も長生きするしかないだろう。

こうして親孝行のことを考えると、少し身体が気怠い思いにもなるのだけど、残された者のことを考えると、生きていける気もまた同時にするのだ。

宮川サトシ
岐阜県出身。2013年『東京百鬼夜行』(新潮社 / 全2巻)で漫画家デビュー。著書に『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』(新潮社)、育児漫画『そのオムツ、俺が換えます』、『情熱大陸への執拗な情熱』(幻冬社)など。『僕!!男塾(原作)』(日本文芸社)、『くらげバンチ』(新潮社)にて『宇宙戦艦ティラミス(原作)』を執筆中。

文・絵/宮川サトシ
編集/サカイエヒタ(ヒャクマンボルト)

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