「11月3日に結婚しよう」
彼女とそう話し合っていた。文化の日だから。2人は文化系だから。ぼくはライターだし、彼女は俳句をやっているし、まじりっけなしの「文」化系だ。
そうと決まったら「ゼクシィ」を買うしかない。コンビニの雑誌コーナーに走ると、どこにあるのかすぐにわかった。すごく分厚かったからだ。辞書ぐらい分厚かった。結婚するための辞書というコンセプトなのかもしれない。
雑誌には付録がついていた。なんと、特製の婚姻届だ。これは使うしかない。結婚の神たる「ゼクシィ」が託してくれたのだ。婚姻届、降臨。
「お互いの親に保証人になってもらわなきゃいけないね」
彼女がそう言う。ぼくの顔が強張った。親に連絡しなきゃいけない。
とはいえ、別に親と確執があるわけではない。むしろ、「何もない」と言ってもいいだろう。
ぼくの親はぼくが小学校高学年のときに離婚をした。そこからずっと父子家庭だ。父は平日遅くまで働き、週末になるとぼくら──ぼくは三人兄弟の末っ子だった──にごはんを作った。
ぼくはといえば、中学からほとんど不登校になり、高校は1学期で中退し、そのまま引きこもりになった。
ひょっとしたら父は「離婚がきっかけでグレた」と思ったかもしれないが、そんなことはない。単に行くのが面倒くさかっただけだ。そして、インターネットと読書が楽しすぎた。
目が覚めて、まずやることはパソコンを立ち上げること。そしてネットサーフィンをひたすらして、眠くなったら眠る。引きこもりど真ん中。昼も夜もなかった。
そのあいだ、父はぼくに何も言わなかった。「将来はどうするんだ」「今なにやっているんだ」「もっとちゃんと考えなさい」いくらでも注意できたと思うが、何かを言われた記憶はない。
そのことについて、ぼくは父をすごく感謝している。あのとき、インターネットと読書に明け暮れたからこそ今がある。就職できたのも本を出せたのも、ぜんぶこのときの経験のおかげだ。
ちなみに母親とも定期的に会っていて、関係は悪くない。
いきなり父親とバーベキュー!?
とても甘やかしてもらっていたことに、ぼくはすごく負い目を感じている。だから、未だに──31歳にもなって──親の目を見て話せない。
だから、「結婚の保証人になってほしい」と打ち明けるのにも、とても緊張してしまった。11月3日までに署名とハンコをもらわないと。そう考えても動き出せず、ズルズルと時間が過ぎていってしまった。
結局、父への連絡は彼女にやってもらった。
「近々会って話したいことがあるのですが」と彼女。
「11月3日に近所の人たちとバーベキューをやるので来ませんか」と父。
不意打ちだった。バーベキューだって? しかも、11月3日に? そういうわけで──彼女の両親が地方に住んでいて記入が遅くなるというのもあり──婚姻届の提出は少し遅らせて、父が参加するバーベキューに行くことになった。
とても気が重かった。「近所」といっても、幼いころから顔なじみの人が参加するわけではない。父は数年前にぼくが育った──そして引きこもっていた──実家を引き払って別の地域のマンションに引っ越していた。
つまり、父以外はみんな知らない人なのだ。しかも、バーベキューという陽性のイベント。どう振る舞えばいいのかわからない。しかし、行くしかない。誘われてしまったのだ。
負い目から遠く離れるために。
親子で同じ結婚記念日になっていたかも
実際、当日に現場へ訪れると、すべては杞憂に終わった。誰もが暖かく迎えてくれた。参加層の中心は50代の夫婦とその家族。エプロンを用意してきたのだが、元料理人の男性がほとんど調理をしてくれて、周りの歓談に耳を傾けながら肉を食べた。
父が伝えたのか、参加者のうち何人かはぼくがライターをやっていて、本を出したことを知っていた。
老年の男性がその話を振られて「そうなんですよ、数ヶ月前に」と返事をした。
男性は優しく微笑みながら「うんうん、その調子でね」と励ましてくれた。
2時間ほどそこにいて、まだまだ宴はつづきそうだったが、ひと足先に出ることにした。
父の横に行き「実は結婚することにした」と告げる。
「そうか。いつ?」
「ほんとうは今日婚姻届を出すつもりだったんけど……それで保証人欄に記入してほしいんだ」
返事をしながら昔の記憶がよみがえってきた。高校を辞めたいと打ち明けたときも、同じような反応だった。いつもぼくが決めたことに関しては、それを尊重してくれるのだった。
ゆっくり話そうと近くのカフェに移動した。父の隣にはバーベキュー会場に着いたときから一緒にいた女性が座っている。
「実は再婚することにした」と父。
不意打ちだ。そして、今朝役所に婚姻届を出してきたのだという。驚いた。もしぼくと彼女も予定通りに婚姻届を出していたら、父の再婚と同じ日が結婚記念日になっていたのだ。
父はいつも何も忠告しない。ぼくが自分で考え、決めるのを待ってくれた。
あのとき「学校を休むな」と言われていたら。あのとき「高校を辞めるな」と言われていたら。あのとき「部屋を出ろ。就職しろ」と言われていたら。
今の生活があるのは、父のおかげだ。
ぼくはきちんと恩返しをしなきゃいけない。どういう形になるかはわからないけれど。ぼくがこの思いを打ち明けて、「親孝行することにした」と告げたら、父はいつものように「そうか。いつ?」と言うのだろう。
バーベキュー会場を彼女とあとにして、意味もなく1時間以上歩きつづけた。時間は止まらない。引きこもりだったぼくは大学に入り、就職して、結婚もした。次は親孝行か? それは「いつ」になるのか。しかし、「いつ」かは必ずやってくる。それはきっともうすぐ──。
(その後、彼女の親にも保証人欄の記入をしてもらい、1月1日に婚姻届を提出した)
菊池良
1987年生まれ。ライター。2017年に出した書籍『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(共著・神田桂一)が累計17万部。そのほかの著書に『世界一即戦力な男』がある。
文・写真/菊池良
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)