母を親だと思ったことがほとんどない。
親というよりも親友に近い感覚でいる。
互いのことはあだ名で呼び合っていて、服やバッグは共有しているし、私抜きで私の友人と飲みに行ったり、友人のチワワを二匹預かってきたりすることもある。
母の見た目が実年齢よりも少し若く、私が老け顔なことも相まって、海外旅行に行くと友達同士だと勘違いされてナンパされることも何度かあった。
毎年、私のバースデーパーティーに必ず参加していて、友人たちからもあだ名や下の名前で呼ばれている。
「本当に可愛らしいお母さんでいいよね!」なんて言われると、「そう?普通だけど!」と返す母だが実は喜んでいる。
そんな親友のような存在だからこそ、私が中学生の頃に親子喧嘩をした際には、互いを「ブス!」と罵りあったこともある。最終的にこの喧嘩は「親子で顔が似てるってよく言われるから、どっちもブスじゃねーか!ワハハ」で終止符が打たれた。
"友達親子"なんて言うと聞こえがいいが、単に親離れも子離れも出来ていないだけなのだと思う。
基本的に浮かれていて、変わっている私の母。
ZOZOTOWNの前澤社長の100万円プレゼントキャンペーンに参加した際は、「100万円か~、明日なに買いに行こうかな~。」と真剣に考えていたり、突如「どうしても逆立ちがしたいから、私の足持って!」と頼みこんできたり、娘として心配になることは多々ある。
そんな母に昔、座右の銘を聞いたことがある。
その際、しばらく勿体ぶった後に「座右の銘はナシ。これが座右の銘。」という謎の返しをされたが、私が思う母の座右の銘は「思い立ったが吉日」である。
思い立ちから行動までのスパンが短く、常に「自分がどうしたいか」を尊重して行動しているのだ。私は下される母の決断に、毎回驚きながらも、強い憧れを抱いている。
そんな"思い立ったが吉日"ぶりを強く感じたエピソードがある。
母は私が中学1年の頃、父と離婚した。
そんな重要なことなのに、私は二人の離婚をメールで知った。
「お父さんと離婚することにしました。」
離婚に関する母とのやり取りはこれだけ。翌週には何事もなかったかのように母と二人で暮らしていた。
私は母の「離婚」という決断を悲しい出来事だと感じたこともなければ、離婚によって悲しい思いをしたこともない。よく「子供の為を思ったら離婚は出来ない」という話を耳にするが、私にとっては、両親が揃っていることなんかよりも、母が幸せでいてくれることのほうがよっぽど大切だった。
母にとって吉日ならそれで良いのだ。
そんな母の行動は私が高校生ぐらいになって更に加速していった。
夏休みの朝、いつも通り部屋を出てリビングへ向かうと「沖縄に行ってきます。I love you!」と書いた置き手紙と手作りの焼きそばが置いてあった。ちまちまと焼きそばを食べながらインスタを開くと、そこにはブルーシールのアイスクリームを片手に満面の笑みを浮かべる母がいた。
その後も「よし、香港に行こう!」「次の休みはハワイに行ってくる」と思い立ってはあちこちに旅立って行った。
美味しいものと綺麗な景色に目がない母。
休みの日には必ず一眼片手にどこかへ出かける。どこへ出かけたのかは、いつもインスタで知る。
ヒルナンデスで紹介される飲食店を見て「え、今更この店?」と得意げな顔をする母。
ポケモンGOにハマり、夜中にポケモンを捕獲しに行く母。
苦手なクセに、タオルをくわえてジェットコースターに乗る母。
暇を持て余して、全く知らない人の裁判の傍聴に行く母。
孫のことを「おい、マゴ!」と呼ぶ母。
成人式の前撮り会場で私と自分の他に誰もいないことを確認して、でんぐり返しをする母。
この先の不安と1つ1つ向き合うよりも先に「自分がどうしたいか」を尊重して行動するなんてリスキーすぎるし、私自身親となった今、なおさら真似できそうにない。でも、そんな親友のいろんな姿を思い出しては、会いたくなる。
思い立ったが吉日、か。
妹尾ユウカ
独自の視点から綴られる恋愛観や毒舌ツイートが女子大生を中心に話題となり、『AM』や『MTRL』など多くのウェブメディアや『週刊SPA!』などの雑誌で活躍する人気コラムニスト。
文・写真/妹尾ユウカ
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)