母は“デキる女”風だった。
毎朝早く起きて、子供たちの朝食や弁当を作り、平たい皿に盛ったアボカドだらけのサラダを速やかに食べ、夕飯の下ごしらえや洗濯を済ませ、化粧を済ませ、ヒールを履いて、1時間半かけて出勤する。在宅時でも、仕事の電話がかかってくれば、2トーン高い声と業界イントネーションで饒舌なトークを繰り広げ、定型の冗談を混ぜつつ、頃合いを見て電話を自然に終焉に向かわせたし、東京のど田舎、日野市に住んでいながら、表参道の美容室に通い、近所にはいない尖った前下がりボブの髪をかきあげていた。
一見、デキる女のようだが、ぴしっとキレイなお出かけ着に対して部屋着はいつもダサかったし、隙間時間を有効活用しようと、複数のタスクを同時進行するので、お弁当の唐揚げは必ず黒々と焦げていた(私は母の黒い唐揚げの味を鮮明に思い出せる)。母はいわゆる「なんでもできちゃうタイプ」ではなく、社会の中で上手に生きていくことをいいことであると信じていて、自分を理想の姿にチューニングしていく努力を継続できる人だった。
非常に残念ながら、伊藤家の次女である私は、そのチューニング能力を一切受け継げなかった。子供の頃から母の目を盗んで塩の蓋を舐めていたし、社会人になった今でも卓上の醤油瓶の上に胡椒瓶をのせて意味なく遊んでしまう。日常を上手に、こなしていくことにストレスが溜まるので、そういう奇行に没頭していると安らぐのだ。
母は昔から、私の奇行を見つけると目を見開き、「ハッ」と息を飲んで驚いた。私はその「ハッ」が許し難かった。母が息を飲むと、自分が呼吸するための空気を母に吸われてしまったような苦しさを覚えた。それまで保っていた心の平穏が突然乱れる。私の大切な安らぎの時間をぶち壊さないでほしい。私は何度も母親に「驚かないで!」と怒った。私は母に、静かで、穏やかで、でも不足のない「環境」でいてほしかったのだ。
この「驚かないで」願望が爆発したのは、私が思春期を迎えた頃だった。中学二年生になった私はストレートに中二病にかかり、「NO MUSIC NO LIFE、音楽がなければ死ぬ」と本気で思い込んでいた。椎名林檎を聴きながら「この情熱は誰にも理解されない」と信じ、学校をサボって、友人と髪を染めたり、ピアスを開けたりして“本当の自分”を探した。
もちろん、こんな奇行を真面目な母は受け入れられない。明るい髪を見たとき、ピアスの穴を見つけたとき、母は毎日のように息を飲んで驚き、叱った。
ある日、私が、大嫌いな担任から届いた年賀状をハサミで細かく切り刻んでいるのを見て、母は一段と大きく息を飲んだ。いや、わかる。自分の娘が人様の年賀状をハサミで切り刻んでいたら怖いし、ショックだと思う。でも、当時の私には止められない衝動があった。「年賀状を切り刻んでいるのは私であって、ママじゃない。ママには関係ない。他人の行動にいちいち驚かないで」なんて、言語化はできず、ただただ苦しく、苛だたしく、悲しかった。
感情のままにブチ切れて、翌朝、お互いに謝らないまま、なんとなく仲直りとも言えない仲直りをする。娘に普通にきちんと生きてほしい母と、疑わしい「普通」を飛び出して自分の正しさを全うしたい娘。交わらない。言葉にすると陳腐だけど、当事者はつらい。お互いに本当にしんどい時期だったと思う。
幸いなことに、私の中二病はちゃんと終わった。高校に進学すると心の広い先生たちに恵まれ、叱られつつも認められることで、なんでもかんでも逆をいこうとしなくなった。そして母も、長い年月をかけて、ちょっとやそっとのことでは驚かなくなった。高校一年生の秋、担任の先生(この先生とはウマが合わなかった)から「伊藤さん、娘さんは前期◯回も遅刻したんですよ!?」というお叱りの電話を受けても、「いや、まあまあ少なくね?」と思ったそうだ。母は遅刻をしないのに。
母からその話を聞いたのはもっと後になってからだったが、思い返せば、ちょうどその頃、私は母が息を飲むのをそこまで嫌がらなくなっていったように思う。
少なくとも母が息をのむと自分の呼吸が苦しいなんて感覚は無くなった。それは私が、母を「環境」ではなく人間だと思えるようになったからだと思う。本当に偉そうな話で申し訳ないけど、母の驚く権利を認めた、という言葉が近いかもしれない。母が娘を自分と違うタイプの人間であることを受け入れ、「遅刻はいけないことだけど、この子にしては少ないだろう」と思えるようになった頃、私も同じく母を1人の人間として、感情を持ち、自由に生きる存在なのだとやっと理解したのだ。
今は母に環境でいてほしいとは全く思わない。母は人間だから、人間らしく楽しく生きてほしい。環境でいてほしかった人を、1人の人間として受け入れてから、約10年が経ち、私には最近「母が書いたものを読んでみたい」という感情が芽生えつつある。
母が生きていて、何を学んで、何を感じ、何を考えているのかを知り、そこへの共感や驚きによって、ひとりの人として好きでいたい。話したり、手紙じゃ近すぎて、きっとデキる女ぶってやさしい親を演じてくれちゃうだろうから、私に向けていない文章を読みたい。ぶっとんでたり、過激でもよし(でもダサかったら悲しいよ)。好きでいたいから、知りたい。私にとってそれは紛れもなく愛なのだ。
伊藤紺
フリーライター/歌人。1993年生まれ。興味ごとはJKからAIまで。制作ユニット「NEW DUGONG」としても活動中。
Instagram:https://www.instagram.com/itokonda/
Twitter:https://twitter.com/itokonda/
文・写真/伊藤紺
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)