私が小学校高学年くらいだった頃、原因は忘れたが、うちの父親と母親が、どうにもこうにも収拾がつかないほど大喧嘩をしていた。1週間以上の膠着状態を経て、母のほうに話をつけるのは無理そうだと考えた私は、拙い頭で一生懸命、「どうにか仲直りをしてくれ」と懇願する手紙を書いて、父に渡したのである。

余談だけど、私はいわゆる「コミュ障」である。文章でならいくらでも自分の思いを伝えられるし、それを仕事にもしているが、場を盛り上げたり、面と向かって会話をするのはどうも苦手だ。それは、たとえ相手が親であっても例外ではない。両親に仲直りしてほしいときも、恋人と喧嘩したときも、友人とすれ違いがあったときも、伝えたい気持ちがあるときほど、私は文章を書く。大切なことほど、メールやLINEや手紙で伝える。この習性は、小学生の頃から変わっていないのだなあと思う。

閑話休題。数日後、父から手紙で返事があった。そこには、こう書かれていた。

「〈夫婦喧嘩は犬も食わない〉という言葉を知っていますか。我々夫婦のことは、基本的にはあなたには関係のないことです。だから気にする必要はない。それから、俺は娘であるあなたよりも、自分自身の人生のほうが大切です。だからあなたも、親のことなんか気にせずに、自分の人生を生きるといい。縁あって親子だけれど、所詮、俺たちは他人です」

これを読んだ時、私は泣いた。父は、母よりも、私よりも、弟よりも、自分自身の人生のほうが大切だという。「父のいちばんは私じゃない」ということが、小学生の私にとっては悲しかった。だけど同時に、父のドライな物言いに、深く納得もしたのである。親子であっても、所詮は他人。私は、私の人生を生きるしかないのだと。

画像1: 親孝行エッセイ「“良い親子”になんかなれないけどさ」チェコ好き

父のドライな態度は、娘に対してだけでなく、仕事に対しても通じるものがあったように思う。父は大手企業に勤めるごく普通のサラリーマンなのだけど、いつだったか会社で昇進が決まったとき、年末年始に集まった親戚たちに、「よく頑張ったんだね」とお茶を注がれながら褒められていた(父はアルコールをまったく受け付けない体質で、酒が飲めない。不幸なことに、私もその体質をばっちり引き継いでいる)。

しかし、どんなに親戚たちに褒められても、父はまったく表情を崩さなかった。そして、緑茶をしぶしぶと飲み続けながら、「別に何も頑張ってない。好きなことを続けてたら、こうなっただけ」と、ぶっきらぼうに答えていたのである。

無愛想な父に親戚たちは拍子抜けしていたが、私は、そう言い切る父をとてもかっこいいと思った。同時に、彼の姿を見ながら、自分も仕事に対してはこうあろうと決めた。他人に認められるため、生活のため、家族のため、親のため、そんなことのために「頑張って」仕事なんかしてやらない。自分の好きなことを、ただ信じて続ければいい。

必要に応じて「集中」はするが、絶対に「頑張る」なんて言葉は使わない。この方針でダメだったら、そのとき考えればいいさ。ぶっきらぼうな父の姿を見て、私はまっすぐにそう思ったのである。

そんなわけで、父の思想や生き方に、私は相当な影響を受けている。だけど、一般的に考えて、私が「親孝行な娘か?」と問われたら、口が裂けてもイエスとは言えないだろう。

父のドライな考え方が主軸にあるせいか、我が家はちょっと放任主義が過ぎていたようにも思う。高校生の頃などは、無断外泊をしてもまったく怒られないという信頼のされっぷりだった(良からぬ事件に巻き込まれている可能性もあるし、さすがにもうちょっと心配したほうがいいんじゃないかと思った)。大学院までお金を出してもらったけれど、就職も転職も一言も相談せずに決め、だいぶ時間が経ってから事後報告をした。
だから実は今、父も母も、私が何をして生計を立てているのかあまりはっきりとわかっていない。「食うに困らない範囲で、IT企業に出入りしつつ、なんか好きなことをしているらしい」くらいの認識だ。
テロが警戒され、政情不安定な国であるイスラエルを旅すると決めたときも、親にはもちろん何も言わなかった。1年後くらいに「そういえば去年、会社を辞めて1ヶ月くらい中東に行ってたんだよね」とさらっと報告したときは、さすがにちょっと驚いていた。

昔から、私が「こうする」と決めたことに対して、父も母も一切反対しない。もっともそれは、教育方針というよりも、私が頑固すぎるため、「こいつには何を言っても無駄」と諦められているからのような気もする。実家は神奈川県にあり、私が今住んでいる場所も首都圏なので、距離でいえば電車で1時間くらいなのだけど、お盆はもちろん年末年始すらロクに帰らない。それでも、親は文句らしい文句を言ってこないし、年頃の娘に結婚を急かすこともない。

画像2: 親孝行エッセイ「“良い親子”になんかなれないけどさ」チェコ好き

「お前はお前の人生を生きろ」と突き放し過ぎている我が家の(というか父の)教育方針は、おそらく褒められたものではないだろう。父が小学生の娘に使った言葉も、あまり他人に勧められるものではない。だけど、私はこの家の娘として生まれたことを、おおむね満足している。好きなことをやりたいだけやって、ダメだったらそのとき考えればいいさ。可能性を広げられるだけ広げて、限界まで生きてやる。

と、気っ風のいいことを言ってみたが、前述したとおり、父の体質をばっちり受け継いだ私は、酒がほぼ1滴飲めない。いつも弱気に、ちまちまとウーロン茶を飲んでいる。だから、父と酒を片手に語り合うなんてことは、今後も絶対にないだろう。

しかしそれはそれとして、次に実家に帰ったときは、コーラとピザが大好きな父と、互いに背を向けながら食事ぐらいは、してもいいかなと思う。

周りからみるとちょっといびつな光景だが、私たちは、世間で言われているような「良い親子」になんかならなくてもいいのだろう。
私たちは所詮ただの他人だけど、縁あって、親子なのだから。

チェコ好き
旅と文学とついて書くブロガー・ライター・書評家。1987年生まれ、神奈川県出身。ちょっと退廃的なカルチャーが好き。

文・写真/チェコ好き
編集/高山諒(ヒャクマンボルト)

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